今週のことわざ

奇貨(きか)(お)くべし

2008年1月21日

出典

史記(しき)・呂不韋(りょふい)列伝

意味

与えられた機会を逃さない。「奇貨」は珍しい品物。掘り出し物の意味。「居(お)く」は、この句では手元にとどめておく、買い入れておくということ。「……を幸いとして」「……を利用して」の意味にも用いる。

原文

子楚秦秦質子於趙。秦数攻趙。趙不甚礼子楚.子楚秦諸庶孼孫、質於諸侯、車乗進用不饒。居処困、不意。呂不韋賈邯鄲、見而憐之曰、此奇貨可居。
〔子楚(しそ)、秦(しん)の為(ため)に、趙(ちょう)に質子(ちし)たり。秦数(しばしば)趙を攻む。趙甚だしくは子楚を礼せず。子楚は秦の諸庶孼孫(げっそん)にして諸侯に質(ち)たり。車乗進用饒(ゆた)かならず。居処困(くる)しみ、意を得ず。呂不韋(りょふい)邯鄲(かんたん)に賈(こ)し、見てこれを憐(あわ)れんで曰(いわ)く、これ奇貨なり、居(お)くべし、と。〕

訳文

(韓(かん)の豪商呂不韋(りょふい)は諸国を往来し、巨万の富を得た。そのころ秦(しん)の昭襄王(しょうじょうおう)《在位、前三〇七~二五一》の長男が死に、次男安国君(あんこくくん)が秦の太子の位についた。安国君の公子子楚(しそ)は、その母夏姫(かき)が、父の側室ではあったがあまり寵愛(ちょうあい)されていなかったので、彼自身も父から愛されていなかった。そのため、)子楚は秦の外交のため、趙(ちょう)へ人質に送られた。ところが秦は子楚が人質になっているにもかかわらず、しばしば趙に攻撃をしかけた。だから趙では子楚を優遇しなかった。子楚は秦の太子の多くの側室の中の一人の息子にすぎず、しかも他国に人質に出されているので、乗り物や日常の諸経費も不如意だった。毎日の生活も滞りがちで、意に任せなかった。そのとき呂不韋は趙の都邯鄲(かんたん)に商売に来て、子楚と会い、その境遇に同情し、「これは掘り出し物だ。買いこんでおこう。」と言った。(呂不韋は子楚を買い求め、秦の安国君の正夫人華陽(かよう)夫人にとり入り、子楚を夫人に近づかせた。華陽夫人は子楚を愛するようになり、自分に子供がいなかったので、子楚を養子とし、秦の後継者にするよう夫の安国君に頼み、安国君も許した。呂不韋は大きな権力を握った。のちに呂不韋の妾(しょう)に子楚が一目惚(ぼ)れして、呂不韋からその女を譲り受けた。その女は既に呂不韋の子をみごもっていて、生まれた男子がのちの秦の始(し)皇帝である。)

解説

見出し句の意味は、「これはめっけ物だ。見逃す手はない。買っておこう。」というような言い方。呂不韋(りょふい)は始(し)皇帝即位後、皇帝の後見役として宰相になり、食客を抱えて、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』を作らせたりしたが、のちに失脚して自殺した。

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部