佐渡で、お仕事をされながら熱心に漢字に取り組まれている方からは、「蚫」という現地の地名についての資料をいただけた。アワビの現物よりもありがたい。この字は、国字かどうかの判定が難しいのだが、そのころ必死に文献を集めて調査をしていたためだ。日中韓の現存資料の記述を総合すると、「鮑」も国訓である可能性が出てきた。エビとかアワビとか、長生きの縁起物の字を対象とした研究が続くのは偶然にすぎないのだろう。奇遇にも、お母さまの出身地がその隣町だというその方は、漢字にとてもお詳しいが、この日本でもかなり稀な地名用字には、何の違和感ももっていらっしゃらなかったそうだ。地域文字とはそういうものであり、かなり珍しい字であっても、たいていはどこか他の場所にもある普通のものと思いがちだ。
また漢字にたいへん詳しいお医者さんもおいでだった。「口腔」は「こうこう」ではなく「こうくう」、ほかにも「腹腔鏡」などで「ふくこう」と読むことは何十年か前に教授が行っていたのを最後に、「ふくくう」しか聞かなくなったとのことで、興味深い。こうした読み方を誤りとして難じる声もあるのだが、医療の現場では「孔」「口」などとの同音衝突を避けてのことであって、無学故ではなく、すでに半世紀以上の使用実績を積んできている位相音といえるものである。
電子カルテでは「辺」の異体字(結婚式でのこれについて書いた第148回参照)がたくさん準備されていて、それに近いものを選んで打ち込んでいるそうだ。この地で地元の新聞社にお務めだった方は、これを新聞でも徹底されるとつぶれるところが出かねない、実際に地方紙の中には廃刊になってしまったところもあるとおっしゃる。名字の漢字は、経済にも影響を及ぼす、実に罪作りなものだ。住民票や戸籍などの行政システムでも、以前より多大な税金が投入されてきた。出版でも、原稿に書かれた手書きの略字体、さらには意図せぬ誤字体までも、オペレーターが手書き原稿のくせ字を見ては、どんどん作字してしまうようにもなってきた。作字にも新たな字体解釈や転記ミス、設計ミスが加わりやすく、どこにもないような字が紙上に残ることが起きる。
北海道の新聞社の方からは、人名は、パソコン上であるもので済まそうとしているが、あるソフトで変換候補に挙がってくる低解像度の字の中から、紛らわしい別字を入力してしまう事故も起きているとうかがったことがあった。いかにも今時である。
試験などでは漢字の1点(点画)が1点(点数)を左右し、そこで人生が変わるということもありうる。「専」「博」は点の有無を字源(音符「甫」を含めばハ行・バ行)を考慮しないと迷いがちだが、人名では「博」に点を打たない人もいれば、「恵」に点を打つ人も、なぜか若い人の中にも見受けられる。誤った受理といわれる戸籍での例外措置はときおり見られることだそうだ。私も、「寿」の右側に点がある名簿を見て、擦ってみたことがあった。咎無し点、点に咎無しといえた筆の時代はおおらかだった。
書き取りテストでは、さんざん迷って書いた点を薄く消してみる、薄めに小さく書き加えてみる、といった小細工の跡に、採点で苦心することもあった。誤記のほか、画数占いも名前に影響する。1画の差で運勢や人生が変わるといういわゆる姓名判断という占いが気になって、付けたい名前を字義のおかしなものに変えたり、ときには画数の相性が良くないと交際相手を換えたりというような人は、別の流儀の本でやり直してみるか、画数占いの歴史をきちんと調べてみると(ネットでもそこそこ判明する)、思わぬ解放感を得られるかもしれない。
お悔やみ欄は、人間関係が緊密で、近所づきあいを重視する地域で発行される地方紙では重要な意味を持つ。うちの親父の名の「四」は中の「儿」がまっすぐだと主張され、「皿」の左右を削って印刷したり、「勝」の「力」が「刀」だったものが新潟大火で戸籍が焼けて「勝」に変わった、といった具体的なお話は実に面白い。