漢字の現在

第230回 新潟らしい漢字の数々

筆者:
2012年10月19日

新潟らしい漢字は、との事前の問いかけに、新潟漢字同好会の熱心な方々が集めてくださった。

「越の譽」の「越」の「走にょう」が前回記したとおり「しんにょう」に近い形に崩されている。「越の寒梅」も同様だ。漢字だってその字を必要とする人間に近づこうとするのである。70代の方の筆跡で、日本酒のラベルの省略された字形を忠実に写しているかのようだ。そのラベルでは「譽」も異体字、「の」は「乃」だ。

さすがこちらでは高頻度の字だけに、ほかでも簡易化が進んでいる。既存のバリエーションの選択にもその傾向が見られるのである。前に述べたように、「辶(しんにょう)」だって略化した。「走(そう)にょう」だって、「足偏」だって、下部には同じパーツを含んでいたのだ。隷書風、行書風の字形でも「越」にはこの形が多いことがそこで頂いたリストからも分かる。「越」の「レ」の部分をはねないものは、個性を出そうと選んだ結果だろうか。字種は守りつつ、自然と、あるときに決心してそう変えた、ということなのだろう。

字形は千差万別、おのずと個性も表出するが、そこに性格まで出るものかどうかは慎重に考えたい。「引越(引っ越し)」屋さんの「越」という字体にも、実は各社でロゴに個性があると指摘する学生がいた。職域を等しくする集団で多用する字に、逆に位相性が細分化して差異が明確になるという現象だ。

「頚城酒造株式会社」とゴシック体で記されており、「頸城」も略されている。「潟」は県内の各地方で地名に用いられている。

「吟(ちび)田川」は、上越市柿崎の銘柄で、この読みを電話で確認されたとのこと、さすがだ。「笹祝」「笹祝酒造株式会社」は新潟市のもので、「笹団子」などこちらでは私の姓の「笹」も常用される漢字のようだ。「〆張鶴」も、ご当地だけに目にする頻度も高い。これもさすが本場だ。こうした銘柄が一覧された新聞広告も頂いた。ロゴには歴史あるものと新しいものがあるそうで、飲んでみてからデザインを決めると話すデザイナ-・書家の方もおいでである。

「飯酒盃」で「いさはい」という姓も実在する。やはり米所だ。

トキの「朱鷺」「鴇」「(牟+鳥)」「(年+鳥)」も新潟らしい漢字として挙げられていた。漢字の熟語や漢字から、国訓、国字へと転化した跡もうかがえる。最後の字は字体だけでなく、「とき」と「年」の意味、発音上の関係も想起される。地方自治情報センターにかつて提供してもらった資料によると、秋田県には「ときとうやぐらまつ」という小地名があり、現地の役場まで調べに行ったことがあった。そこでは、なぜか「(音+鳥)鵈」で「ときとう」と読ませていた。「たう」もトキを指す語であった。


かつてはトキは国内に広く分布していたことが、地名からも分かっている。我が町にも公園にその像が残っている。中国から入ってきて、字体、表記にも、このような変種が出るほどだった。中国では現在、「朱鹭」を用いている。

「にお」「にょう」は、稲を重ねた物を指す俚言(方言)だ。ただ、県民でも知らない人もいる。隣の富山でも、「にょう」「にお」などと呼び、近世には「(禾+入)」という国字としては珍しい形声文字もあてがわれた。和語に声符が仮借として使われているのである。「新潟日報」の記事で、地名に「鳰」を当てたものを載せたことがあり、古地図にはあるそうなのだが、これでは鳥だと抗議が来たそうだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。