漢字の現在

第268回 地下鉄

筆者:
2013年4月26日

高速鉄道は「高鉄」と略され、以前、大きな事故があったが、皆利用しているとのことだ。中国国内の一部でしかまだ走っていないが、その速さをしても5時間かけて移動ということはざらだそうだ。

かつて上海-杭州間の高速道路を、自動車で3時間かけて飛ばしてもらったものだが、今では道や橋ができたとか鉄道が通じたとかで近くなったそうだ。20分ちょっとで着いてしまうようになったと留学生たちは言う。

北京市内の駅名を眺めると、漢字ではあるが日本とは違う。

 長椿街 ツバキではなく、チャンチンか霊木を指すのだろう。

 木(木+犀)(木+犀)地 2字目はシー(xi1)。木犀(モクセイ)のことで、木偏は付けなくても良いが、固有名詞としては付いている。

 五(木+果)(木+果)松 2字目は量詞(助数詞)で、五本松といったところだろう。

「胡同」の2字も見られた。フートンと読む。もとはモンゴル語であったのは、さすが北方の地である。元朝の首都だっただけに深く定着し、こうした駅名や地名に息づいているのだろう。かつてはこの2字を「行」で挟んだ造字による表記も行われた。

ただ今やフートンそのものが開発によってほとんど失われたそうだ。北京も急速に変わったという。そう語る50代の方々は、文革で相当な苦労を経験しているという。

「女人街」は香港にもあるが、北京にもできていた。女性向けの服などがたくさん並んでいる。

地下鉄で、吊り革の広告をふと見たら、女性の写真があり、その名前には見たことのない漢字が小さく印刷されていた。

 楊 (冖日大巾)(冖日大巾)

つまり「幕」の草冠を「冖(わかんむり)」に換えたものだ。

最初、「冥」の音「ming2」かと思った。中国の人たちは「min4」かという。ローマ字では「MI」とも書いてあった。女優だろうか。日本でも数学で使うことがある「冪」(ベキ 覆い)の簡体字だった。「くさかんむり」を省くところがどことなく日本的ではない。日本では、それもあったかもしれないが、江戸時代の和算以来、数学の世界では「内」のような字体、「巾」や、それらを組み合わせるなどの略字化が行われてきた。集団や場面に限定される位相文字と見ることができる。どこを省くか、抜き出すかに差が感じられる。


日本円を人民元に換えたい。しかし街中での両替は、厳重な銀行の窓口のようなところに行く必要があり、手間がかかる。買い物は海外での醍醐味なので、書類を埋めて並んで待つ。

本屋があるが、入れば絶対に本を買いたくなってしまう。買い込んで、人民元が足りなくなったこともあった。書物はたまると重いし、かさばるため旅行鞄に入りきらなくなる。帰りに空港のカウンターで、20キロぐらいオーバーしていると言われたこともあった(なぜかおまけしてくれたのは、ありがたかった)。

日本で買うよりも断然安いといって面白そうな本をついつい買ってしまった。日本で片付けてみたら、すでに持っていたというものも何冊かあった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。