「百学連環」の「総論」について、その目次を見ているところでした。目下は、大きな項目としては最後に置かれている「真理」を検討中。前回、その前半を眺めたところです。念のため、もう一度「真理」の下にある見出しを並べておきましょう。
Positive Knowledge, Negative Knowledge
利用 適用
コントの三段階説
才学識
規模 System 方法 Method
普通学 殊別学
心理上学 Intellectual Science 物理上学 Physical Science
前回「才学識」まで検討しましたので、今回は残る三つを見てゆきます。
まずは「規模 System」と「方法 Method」です。ここですぐに気になるのは、「規模」と「System」という言葉の組み合わせ。皆さんは、「規模」というとどんな意味内容を思い浮かべるでしょうか。「大規模」「小規模」といった使い方を連想すれば、「規模」とは、なにか物事の大きさ、サイズの話ですね。辞書を覗くと、「規模」には、他にも「手本・模範」「要」「眼目」「名誉」「面目」「甲斐」「ききめ」「成果」「報い」「代償」「根拠」「証拠」といった意味もあるようです。
他方で、Systemとはなにか。現在では、「システム」とカタカナで音写して済ませることも少なくない言葉ですね。コンピュータのオペレーティング・システムとか、システム手帖、システムキッチンだなんて言葉もあります。では、システムとはなんだと言えば、これはなかなか厄介な言葉です。私は、言葉の意味を考えるとき、その言葉が持っている多様な意味の母体となるような祖型のようなものを考えてみるようにしています。システムの場合は、複数の「要素」(ものでも言葉でもプログラムでも)が、お互いになんらかの関係をもっているその全体のこと、という感じです。
自然科学ではsystemを「系」と訳す場合があります。例えば、Solar systemを「太陽系」という具合。「システム」という語を上記のように考えるとき、私の念頭にあるのは「太陽系」の図です。哲学の領域では、「体系」と訳されたりもします。「理論を体系化」するという場合、これは「理論をシステムとして組み立てる」と言い換えられるでしょうか。なんらかの部品を組み合わせて、そうした部品全体を部分として含むような全体を組み立てる、そんなイメージです。
もっともいまの段階では、本文を見ていないという前提で目次から感じることをメモしているわけですから、西先生が、どういう意図でsystemに「規模」という訳語を充てているのかは分かりません。ただ、学術における真理がテーマとなっていること、それから、いま述べてきたような意味でシステムを考えてみると、「規模」という言葉もまた、組み上げられた真理の体系といった意味合いに通じるような気もします。これは本文に進んでから、ぜひ確認してみましょう。
この「規模 System」と対のように置かれているのは「方法 Method」ですが、こちらはわたしたちの言葉遣いからすんなり理解できそうです。少し気になることがあるとすれば、第4回で見た「学術の方略 Means」との関係でしょうか。「方法」と「方略」は、どことなく似たところがあります。
もっとも「方略 Means」は、そのときにも述べたように、「器械」や「設置物」など、どちらかというと「手段」ということに重点がありました。「方法 Method」のほうは、方略や手段と似た意味で使われることもありますが、そうした手段を用いながら、物事をどう進めるかという意味もあります。詳しくは、これも本文の検討をするときに述べますが、methodの語源であるギリシア語の「道にそう」という意味にそのことは現れてもいるように思います。
さて、残る二つの項目は、いずれも「~学」という言葉です。第3回で見た「単純の学 Pure Science」「適用の学 Applied Science」という区別も思い出されるところ。
では「普通学」と「殊別学」はどうでしょうか。おそらく、今日であれば「一般学」もしくは「普遍学」と「特殊学」とするところではないかと推測されます。また、学術全体を大きく分類する言葉のように見えます。例えば、皆さんは現在のいろいろな学術を、この二つのどちらかに分けてみなさいと言われたら、なにをどちらに分類するでしょうか。なんとなくではありますが、具体的な事象や物事を扱う学術は殊別学で、抽象化された理論に近い領域が普通学のような印象を持ちます。例えば、歴史は殊別学で、数学は普通学など。これは、今日ではあまりお目にかからない学術の分類なので、なにがどうなっているのか、おおいに気になります。
さあ、これで最後です。「心理上学 Intellectual Science」と「物理上学 Physical Science」ですね。これは、『心脳問題』の著者としては、ちょっとドキッとする分類です。「心理(心のことわり)」と「物理(もののことわり)」とは、言い換えれば「精神」と「物質」のことでしょう。心理や精神に関わる学術と、物理や物質に関わる学術を分けているわけです。
ここで分類すること、分けることの意味に思い至ります。どうして学術を心理と物理に分けるのかといえば、同時に一緒にして考えることに、なんらかの困難があるからでしょう。そうでなければ分けたりせずに、一つの学術として分類すればよさそうなものです。ちなみに、この二つはきっぱり分けて考えたほうがいいぞと明確に言い出したのは、かのルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596-1650)でした。そもそも心(精神)と体(物質)はどう関係しているのか、という問題は、西欧において古代ギリシア以来の長い歴史を持つ難問中の難問です。その難問を、デカルトは、後に「心身二元論」と呼ばれる形で整理してみせたのです。これは、現代に至るまで「解決」されていない問題の一つで、脳科学者や哲学者たちが検討を続けているところ。実を言えば、先に名前が出たコントが提唱した学術の進化論とも大いに関わる問題です。
こうしたことを思うと、「百学連環」の「総論」が心身二元論の話で終わるのは、なんだかとても示唆的です。そういえば、「百学連環」が講義された時期は、ヨーロッパで心理学が進展を見せる時期でもありました。当時の心理学の教科書を見ると、いまなら脳科学や神経科学と呼ばれる領域もそこに含まれています。こうした知の最先端に触れた西先生は、この巨大で厄介な問題に、どう取り組んだのか。ますます興味は尽きません。
さて、お待たせしました。以上の目次閲覧から浮かんできたさまざまな問いを頭の片隅に置きながら、いよいよ本文に取りかかることにしましょう。