漢字の現在

第267回 中国地名の方言漢字

筆者:
2013年4月12日

日本で一度お会いしていた中国人の先生が意外なことに同い年であると分かった。相当上だろうと見ていたのだが、外国人に限らずそういうことが増えてきた。

発表で話す中国語が明らかに「郷音」の人たちがいる。ことに寧波(ニンポー)など、独特な発音で有名で、同じ呉語とよばれる方言に属するが、「寧波の人と話すくらいなら、蘇州の人と喧嘩した方がましだ」といった諺まであるそうだ。院生の「ニーハオ」も、声調がとても低くて、他の地の人たちがからかっていた。若い人でも意外と訛りが残っている。北京師範大に、わざわざ普通話を学びに来ている人もいるそうだ。中国では、大学教員になる際にも、普通話の力について点数まで付けられ、審査されるのだそうだ。「方言萌え」なることばさえも流布する日本では考えにくい状況にある。

「めちゃくちゃ訛っていた、笑いたくなる」と中国の東北地方出身の学生についての声もあった。東北のことばは北京語よりも標準的と言われるが、広いこともあって常にそうとは限らないようだ。

広東語のような特異な地域漢字(列)はほとんどないが、北京の人たちにも独特な訛りがある。バスを取り仕切る20歳くらいの女性の車掌が、「後辺児」、「ホウバール」と大きな声で言った。「hou4 bian1 ホウビエン」がer化して、「ホウビアル」となり、さらに口語の発音に変わったものだった。同行してくれる女性は、これにも「頭が痛くなる」という。トリリンガルの彼女は、韓国でもソウルのことば以外はだめだそうで(逆に釜山の人からするとソウル方言は女っぽいそうだ)、テレビの「方言彼女」なども日本らしい価値観らしい。そして、香港よりも台湾の方が発音が正しいという。

厚い予稿集が3冊もあり重たい。目次とページとで、ズレが生じているのは、これだけたくさんの原稿が並べられていればまあ仕方ないことだろう。カメラマンも、座席の前を普通に通る。この大陸の地では、日本があれこれと気にしすぎなのか、とも思ってしまう。狭い部屋で発表中に携帯電話が鳴り響く。そのまま話し出す人もいた。

地名漢字についても発表があった。「湾」の「さんずい」が「土」に替わった方言漢字が、南方で小さな地名にけっこう使われているのだ。規範化の波と、習慣の根強さが交錯している。中国でも、こうしたものへの関心があることに共感する。

「湾」の「さんずい」が「土」

概して地域文字には、共時的にみると、語との関係は、

1 普通名詞や動詞など非固有名詞を表記
2 1+固有名詞を表記
3 固有名詞だけを表記
という3種が存在している。

通時的(歴史的)には、1から3へ、3から1へと動くものも見いだせる。名字にも使われるものならば、人とともに他の地域へより大きく移動する可能性をもつ。

参加者に韓国からの研究者が多いため、中国語の後に韓国語訳が付く。拍手のタイミングが難しい。韓国語は、座席で隣の人とひそひそ話をする際に、濃音は適しているのかもしれないが、激音は、さすがに響く。中国語にも有気音があるが、それよりも強く聞こえる。こちらでは、そもそもそういう時でも無声音ではなく、声に出してわりときちんと話すようで、それもほとんど気にならないようだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。