場面:薫が玉鬘邸を年賀に訪れたところ
場所:玉鬘邸の念誦堂
時節:薫15歳の正月のはじめころの夕方
人物:[ア]冠直衣姿の薫、四位侍従 [イ][ウ][エ][オ][カ][キ]袿姿の女房 [ク]顔だけの女房
室内:①念誦堂 ②階 ③妻戸 ④廂 ⑤御簾 ⑥朽木形の几帳 ⑦高欄 ⑧簀子 ⑨几帳の綻び ⑩下長押 ⑪上長押 ⑫帽額
庭先:Ⓐ梅 Ⓑ鶯
絵巻の場面 この場面は、[ア]薫が年賀に玉鬘邸に赴き、①念誦堂にいた玉鬘に呼ばれてその②階を上がったところです。玉鬘は奥にいたので、ここには描かれていません。玉鬘は、薫を養父光源氏の形見として弟のように親しみ、婿にしたいと思っています。若き貴公子の薫もまた玉鬘を姉のように思い、その姫君に心が動きもしますので馴染んでいます。薫には、体から自然に発する芳香があり、見た目のみずみずしい美しさとあいまって、女性たちの称賛のまとになっています。それでは絵柄に相当する物語本文を見てみましよう。
『源氏物語』の本文 次に引用する直前には、玉鬘家の女房たちが薫を褒めそやし、婿として姫君と並べて見れば、どんなに素晴らしいかと思っていることが語られています。このことは、絵巻の理解とかかわりますので覚えておいてください。
尚侍(かん)の殿、御念誦堂におはして、「こなたに」とのたまへれば、東の階より上りて、戸口の御簾の前にゐたまへり。御前近き若木の梅心もとなくつぼみて、鶯の初声もいとおほどかなるに、いと好(す)かせたてまほしき様のしたまへれば、人々はかなきことを言ふに、言少なに心にくきほどなるをねたがりて、宰相の君と聞こゆる上臈の詠みかけたまふ。
折りて見ばいとど匂ひも優るやと少し色めけ梅の初花
口はやし、と聞きて、
よそにてはもぎ木なりとや定むらん下に匂へる梅の初花
【訳】 尚侍の殿玉鬘は、御念誦堂におられて、「こちらへ」とおっしゃるので、東の階から上がって、戸口の御簾の前におすわりになった。お庭先に近い若木の梅がおぼつかないくらいに蕾んで、鶯の初声もとてもたどたどしいころに、ほんとに色めかしくしていただきたい様子をしているので、女房たちは戯れ言を言いかけると、言葉少なに奥ゆかし態度なのをくやしがって、宰相の君と申しあげる上臈の女房が詠みかけなさる。
折って見たら、たいそう色美しさも優るかと思いますので、少し色めかしく咲いてください、梅の初花の君よ。
すばやいな、と聞いて、
よそ目には枯れ木であると決めているのでしょうが、心の下では色香のにおう梅の初花なのですよ。
本文にある、薫が念誦堂の戸口前に座り、庭先に若木の梅があって鶯が鳴いていること、女房たちが薫を見ていることなどが、絵巻にきちんと描かれています。また、和歌も絵柄にかかわっているようです。なお、宰相の君の歌は、あなたと契りを交わしたら、ますますいい男と思うでしょうから、もう少し色っぽくしてくださいというのが本意です。薫の返歌は、つきあってもみないで色気がないとおっしゃいますが、色香の匂うわたしなので、試してみますかの意となります。きわどいやり取りですが、言葉の上でのことで、戯れ言なのです。それではまず、女房たちの様子から具体的に見ることにしましょう。
女房たちの様子 この絵に女房たちは、何人いるのでしようか。画面左上の角の④廂に[イ][ウ][エ]の三人が描かれているのはすぐに分かりますが、まだいるのです。そう、⑤御簾に添えられた⑥朽木形の几帳(第24回参照)の陰などに[オ][カ][キ]の三人がいますね。しかし、さらにもう一人[ク]が顔だけ描かれていたのです。女房たち計七人になるのです。改めて確認しましょう。なお、女房たちは裳唐衣衣装になっていませんが、その理由はわかりません。
まず左上角にいる三人です。[イ][ウ]の二人は向かい合い、[エ]は横を向いています。この三人は、先に記しましたように、薫の噂話をしていると考えるのが素直でしょう。そして、残りの四人は薫をのぞき見しているのです。
衣装を見せている画面中央[オ]と、一人おいた左下[キ]の女房は、几帳の横から薫を見ています。この[オ]の女房の右側の几帳の裾は、御簾の下から⑦高欄の付く⑧簀子に押し出されていますが、これが当時の作法でしたね。そして、顔だけ見せて、どこか必死な感じもする女房[ク]がいたのでした。この女房のことは復元模写で明確になりました。そう言われますと、原画でも何となく分かるような感じですので、線描で起こしてもらいました。
開いた③妻戸の奥にいる女房[カ]は、薫のすぐ近くで、⑨几帳の綻びから顔をのぞかせていますね。これは、歌を詠みかけた上臈女房の宰相の君でしょう。
七人の女房たちは、薫のことを噂したり、のぞき見したりしていることになります。それほど薫が素晴らしいわけですね。
薫の様子 その薫は、簀子に座り、足もとは階に置いた姿で描かれています。視線の先にはⒶ梅の木立があります。物語本文で、女房たちが戯れ言を言いかけても、薫はそれに乗らずに奥ゆかしい態度でいたとされていました。15歳でまだ男女の戯れ言に馴れない、若くまじめな貴公子なのです。絵巻ではその顔がやや落ち着いた感じを見せており、「まめ人」といわれる性格まで表現しようとしたようにも思われますが、考えすぎでしょうか。
梅の木立 庭先の木立は、原画では赤い蕾が認められます。白梅も蕾のうちは赤色を見せますが、復元画では咲いた紅梅も描かれていました。それでは、なぜ紅梅なのでしょう。それは宰相の君が詠んだ歌に「少し色めけ梅の初花」とあったからです。白梅では「色めけ」はおかしいですね。しかし、それでもここを白梅とする説もあります。紅梅は白梅よりも遅れて咲くとされることが根拠となりますが、『源氏物語』「末摘花」巻では新春七日に紅梅が咲いているとされますので、はたしてどうでしょうか。
また、この梅は、物語で老木ではなく「若木」とされていましたが、絵巻でわかるでしょうか。枝ぶりがすっきりと描かれていて若木らしいですが、さらにそれらしい点があります。老木になりますと、樹皮に付着する地衣類(ちいるい)が描かれますが、それがありません。また原画では青々とした木立になっていますので、本文に沿ってきちんと若木に描いていたのです。また、Ⓑ鶯も一羽描かれていますね。
画面の構図と主題 最後に画面の構図を確認しましょう。右上から左下に約40度の角度に、⑦高欄・⑩下長押・⑪上長押・⑫帽額を平行に配していて、右下が開放的になっています。そこに梅の若木が、大きめに描かれています。そして、薫が向いているのは、鶯の鳴く、この若木の梅の方向でした。梅はほんのわずかに蕾をつけ、鶯も鳴きなれない声でさえずっているようです。こうした初春の景物と対になるようにして、初々しい薫の若さを表象しているのでしょう。そして、その薫を噂にし、のぞき見る女房たちを配することによって、理想性を表現しているのだと思われます。