絵巻で見る 平安時代の暮らし

第30回 『源氏物語』「御法」段の「紫上の最期」を読み解く

筆者:
2014年10月18日

場面:病床の紫上を案じる明石中宮と光源氏
場所:二条院の西の対
時節:光源氏51歳の八月十四日の夕べ

人物:[ア]袿姿に直垂衾をかける紫上、43歳 [イ]袿姿の明石中宮(父・光源氏、養母・紫上、実母・明石君)、23歳 [ウ]烏帽子直衣姿の光源氏
室内:①高欄 ②南廂か ③簀子 ④下長押 ⑤柱 ⑥釘隠 ⑦廂の上長押 ⑧?文(かもん) ⑨・⑬帽額(もこう) ⑩廂の御簾 ⑪総(ふさ) ⑫母屋の上長押 ⑭母屋の御簾 ⑮高麗縁の畳 ⑯母屋 ⑰・五幅四尺(ごのよんしゃく)の几帳 ⑱野筋 ⑲横木 ⑳足 土居 直垂衾(ひたたれぶすま) 脇息 立烏帽子 蝙蝠扇(かわほりおおぎ)
庭先:Ⓐ萩 Ⓑ薄 Ⓒ藤袴

絵巻の場面 この場面は、[ア]紫上の病状を案じた[イ]明石中宮が見舞いに来ていたところに、[ウ]光源氏もやってきている場面です。親子三人が対座しているわけですが、命の終わりを迎えようとしている紫上ともども悲しみに沈んでいます。紫上は普段は母屋に病室を設けていると思われますが、画面では廂の間で描かれています。

『源氏物語』の本文 この場面のことは、物語では次のように語られています。

風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。
【訳】風がひどく寂しげに吹き出した夕暮に、紫上は前栽をご覧になろうとして、脇息に寄りかかっておられると、院(光源氏)がお越しになり、その様子を拝見なさって、「今日は、とてもよい具合で起きておられるようですね。中宮の御前では、このうえなくお心も晴れ晴れなさるようですな」と申しあげなさる。

絵柄に相当する物語本文はこれくらいで、前栽の光景は語られていません。しかし、三人は萩や置かれた露を和歌に詠み込むことになりますので、画面でもしっかり描かれています。家族が会合して歌を詠み合うのが紫上最期の場面となり、翌十五日早暁に息を引き取ります。物語でもっとも悲しみが深く漂う直前の場面が絵画化されているのです。

建物 それでは室内の様子を見ていきましょう。この場は、紫上が自身の御殿と思っている二条院の西の対になりますが、どの方角の廂かがはっきりしません。しかし、画面左下に見える①高欄が切れていて、そこに庭に下りる階が想定されますので、ここは②南廂と考えておきます。そこを北東の方角から見下ろした画面ということになります。

高欄の右側が③簀子で、④下長押に沿って板敷されています。⑤柱の上に⑥釘隠があるのが⑦廂の上長押、そこに下がるのが⑧窠文の見える⑨帽額と⑩廂の御簾です。御簾を巻き上げて留める鉤丸(こまる)の飾りの⑪総が見えます(第8回参照)。御簾の下方がたわんでいるのは、なぜだかお分かりですね。風が吹き込んで揺すっているのです。見えない風は、ここでは重要な意味を持っています。この⑦上長押に平行してもう一本見えるのが、⑫母屋の上長押です。ここにも⑬帽額があり⑭母屋の御簾は巻き上げられていますが、鉤丸や総は剥落して見えません。

二つの上長押の間が、⑮高麗縁の畳が敷かれた②南廂、画面右下が⑯母屋となります。紫上の背後にあるのが、五つの帷子からなっていますので⑰五幅四尺の几帳です。折り返されている⑱野筋、帷子を垂らす⑲横木、それを支える⑳二本の足と台の土居が見えますので、裏側になります(第24回参照)。明石中宮の背後も同じ大きさの几帳で、表側を見せています。どちらも夏用(4~9月用)の白の生絹(すずし)になっています。

三人の姿と和歌 続いて三人の様子を見ていきましょう。まず[ア]紫上です。袿姿の肩の下に見えるのは直垂衾で掛け布団になり、病にあることを示しています。脇息に肘をついてもたれ、単衣の袖で涙をぬぐって顔を隠すようしているのは、死にゆくものの深い悲しみの表現です。その悲しみを、紫上が小康を得ていると喜ぶ光源氏を見ながら、次のように歌に詠んでいます。紫上はすでに無常の世の、はかない命であることを悟っているのです。風に乱れる露は、はかない命の例えになります。

おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露
【訳】私が起きていると御覧になっても束の間のこと、ややもすれば風に乱れる萩の上に置く露のようなはかない命ですので。

立烏帽子で直衣姿の[ウ]光源氏は、喜びではなく、気落ちした表情で描かれています。金箔で日輪を描いた蝙蝠扇(紙を張る扇)を開いたまま力なく持っています。扇のことは本文にありませんが、日輪は、太陽のような紫上の死、あるいは光源氏自身の死を暗示するとも言われています。前者のほうが妥当のようですが、いずれにしても落日を意味しているのでしょう。扇を持つ右手は膝にだらんと置かれ、左手は直衣の袖で目頭を押さえながら、うつむきかげんでいますので、気落ちした哀しみの感じそのものです。光源氏は紫上の歌に続けて、自身も詠みます。紫上に先立たれるのが辛いのです。

 ややもせば消えをあらそふ露の世に遅れ先だつほど経ずもがな 
【訳】ややもすると消えるのを争う露のようなこの世で、遅れ先立つ間を置くことなく生死を共にしたいものです。

[イ] 袿姿の明石中宮は、三人の中央に位置しながら小さく描かれています。この技法は「東屋(一)」の中君、「東屋(二)」の浮舟などにもあり、後ろ姿で描かれ、頭部は小さく尖っています。明石中宮も単衣の袖で涙をぬぐっているのかもしれません。豊かな髪の裾と衣装は母屋に出ています。母を慰めようと、明石中宮も歌を詠みます。秋風は、紫上の歌と同じく、露や命を脅かすものとなります。

秋風にしばしとまらぬつゆの世を誰か草葉の上とのみ見ん 
【訳】秋風に吹かれてしばらくの間も留まることのない露のような、はかない世を誰が草葉の上だけのことと見るでしょうか。

前栽の草花 三人の歌には、萩や露、あるいは風が詠まれましたので、画面にはそのことが描かれています。庭先を見てみましょう。復元画では、三つのかたまった株になっていて、三人の様子を例えているとする考えもありますが、はたしてどうでしょうか。原画でもⒶ萩・Ⓑ薄・Ⓒ藤袴が分かり、桔梗と女郎花もあるようです。このうち萩だけが歌に詠まれたのは、露と結びつきやすい草花だからです。いずれの秋草も風に靡いていて、その風は⑩御簾にわたって室内に入りこみ、紫上の生存を脅かしていることになります。この庭の光景は、人物の心象風景でもありましょう。

画面の構図と主題 最後に画面の構図を確認しましょう。庭の光景を描くために、⑦廂の上長押の下方向と格子はカットされ、廂の間を見せるために⑫母屋の上長押の下方向もやはり描かずに吹抜屋台にしています。そして、描かれた二本の上長押で画面の構図を形作っています。約45度に傾いていますので、画面に安定感を欠き、この場面の不安な悲劇性を強調するとされていますが、その通りでしょう。また、画面中央の三人の間は、ぽっかりと空いており、死にゆく者と残される者の哀しみが満ちているようです。明石中宮が光源氏よりも紫上の近くにいて、親子としての絆を表していましょう。光源氏はやや孤立的な感じで、いたずらに哀しみに沈む様子を暗示しているようです。

この画面を最期として紫上は物語から姿を消します。紫上が初めて登場した時は、脇息にお経を置いていた祖母のもとに走ってきました。今の紫上は、祖母のように脇息を前にして明石中宮に向いています。この相似は、輪廻転生(りんねてんしょう)する世の理(ことわり)や、紫上が物語の登場時に帰っていくことを暗示しているのかもしれません。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、女房たちが貴公子・薫をのぞき見る場面「竹河(一)」を取り上げます。場面の中に、女房はいったい何人描かれているのか?次回もどうぞお楽しみに。

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