漢字の現在

第251回 2013年「巳」年

筆者:
2013年1月1日

辰年が明けて、巳年がやってきた。十二支を大学生たちに書いてもらうと、ミ年は「己」「已」「巳」「巴」「氾の右」など、混乱している様がうかがえる。

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名前が「巳」で終わる男子学生は、電話で、ミはヘビのミです、と言ったところ、郵便物には「○蛇」と書かれて届いたそうだ。人名では、形が似た別の字の「己」をミと読ませることがあるほか、社名でも「已」をミと読ませるものがある。散歩中は飼い犬を怖がったという冒険家の植村直己氏は、1941年(巳年)生まれなので戸籍では名前の2字目は「巳」だとお話しになっていたそうだ。しかし、実際の戸籍では手書きで「己」のようだが、少し「已」に近い微妙な形だったとの報道があった(「朝日新聞」1985.2.3)。「おのれ」のほうが格好いいからと学生時代から「己」に変えている、とも話されていたそうだ。

江戸時代のころには、連載の第26回にも触れたとおりこれらは一般に混同を呈しており、区別するための口ずさみまで作られていたほどだ。ただ、金文でもすでに「巳」は「やむ」としても使われていたそうなので、漢字は一概にああであるべきだ、などと即断しがたいところがある。

十二支の漢字は、そもそもなぜタツを「辰」、ヘビを「巳」などと書くのか、いまだに定説がないようだ。互いに脈絡が感じにくいために、皆よく間違える。「み(どし)」を「未」と書いてしまった人もいた。かつて、漢民族とは異なる民族のことばに、音訳した漢字を当てはめたものという説も魅力的だが、なおも決定的ではない。それらの字をきちんと常用漢字表に加えることも検討されたのだが、十干は入れなくていいのかという議論が加わり、そこで認められた字や音訓は結局少ないままとなっている。日本では十二支は、漢文や世界史などでおなじみの十干よりも、一層生活に根ざしており、多くの年賀状はもちろん、生まれ年を表すのにも使われ、そして古文の日時や方位などの読解に不可欠なものである。ベトナムでは兎の代わりに猫が入っている、牛が水牛になっているなど、昔話のような話題も多い。

巳年は、私事ながら年男となる。次の年男はもう還暦だと思うと、時の流れが実感を上回り始めて久しいことに改めて気づく。辰年のうちにやっておきたいことがいくつもあった。その一つが「辰年」らしく「龍」(竜)の字に、おかしな古い字が2つあるということの紹介だった。周代のものとされる金文には、蝦が小踊りして喜ぶ挿絵のような象形文字、唖然としつつとぼけた表情でたたずむ漫画のような象形文字もあって、その真贋とともに興味を引く。後者については古い文献などからさんざん調べたのだが(下図はそれが後代に転写された1例)、こうして年を越し、まとめてどこかに書くのはこれからとなった。

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筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。