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曲のエピソード
フォー・トップスが所属していたR&B/ソウル・ミュージックの老舗レーベルのモータウンは、黄金期と言われる1960年代に明確な役割分担(それを“管理体制”と呼ぶ向きもある)を敷いていた。つまり、曲を作ってプロデュースする側と、それを歌う所属アーティスト側に分かれていたのである。モータウンのお抱えソングライター/プロデューサーの多くは大成功を収めたが、とりわけ、このフォー・トップスとシュープリームスを中心に多くの楽曲を提供していたホランド・ドジャー・ホランド(以下H-D-H)が量産するヒット曲の多さは群を抜いていた。本連載第71回で採り上げたリック・アストリー「Never Gonna Give You Up」(1987/全米、全英の両チャートでNo.1)を手掛けたソングライター/プロデューサー・トリオのストック・エイトキン・ウォーターマンの3人は、ひたすらH-D-Hに憧れ、彼らとモータウンを目標に定めてアーティストの発掘と曲作りをしていたと言われている。
フォー・トップスはその名の通り4人組で、結成当初から不動のメンバー構成で活動していたが、1997年にはローレンス・ペイトン(Lawrence Payton)が59歳で、2005年にはリナルド・ベンソン(Renald Benson)が69歳で、そして遂にはグループの要だったリード・ヴォーカルのリーヴァイ・スタッブス(Levi Stubbs)がガン闘病生活の末に2008年に72歳で亡くなり、目下、残党はアブドゥル・ファキア(Abdul Fakir)ただひとりだけである。以降、新メンバーを加えつつ活動を続けているものの、やはり彼らの黄金期は1960年代だったと思う。何しろフォー・トップスは、筆者が生まれて初めて好きになった男性R&Bヴォーカル・グループだったのだから(幼稚園児の時)。本連載の担当者S氏にそのことを打ち明けたところ、「かなりませたお子さんだったんですね」と。確かにそうだったかも知れない。モータウン・サウンドに既に目覚めていたので、リーヴァイの男っぽいリード・ヴォーカルと“スリー・トップス”の掛け合いが、5歳児の耳にもエラくカッコよく聞こえたものである。
この「Reach Out I’ll Be There(邦題:リーチ・アウト)」は、彼らにとって2曲目の全米No.1ヒット。あたかも馬の蹄の如き効果音が施されたイントロ部分から耳が釘付けになり、次第に高揚していくリーヴァイとスリー・トップスらの熱を帯びたコーラスに耳を奪われずにはいられない。子供の頃、この曲がFEN(現AFN)から流れてくるたびに、心がはやったものである。なお、R&Bチャートでも2週間にわたってNo.1の座に輝いた。
オリジナル・メンバーのうち、ただひとりの生存者であるファキアは、かつてこう語ったことがある。曰く「僕らは完璧な組み合わせのグループだと思った。僕は第一のテナー、ローレンスはそれに続く第二のテナー、オビー(リナルドの愛称)はバリトンという役割分担で、そしてリーヴァイは“間違いなく”グループのリード・ヴォーカルに相応しい声の持ち主だったからね」。同発言は実に的を射ている。と言うのも、“スリー・トップス”があってこそ、リーヴァイの声量タップリの重厚な歌声が映えていたからだ。彼ら4人のチームワークの良さは、もちろんこの曲でも遺憾なく発揮されている。
2002年にアメリカで公開された、モータウンのセッション・バンドであるファンク・ブラザーズの伝記的映画『STANDING IN THE SHADOWS OF MOTOWN(邦題:永遠のモータウン)』(原題はフォー・トップスの1966年のヒット曲「Standing In The Shadows of Love」のもじり)には、ジャンルを超えて様々なアーティストが登場し、往年のモータウン・ヒットをカヴァーして歌うシーンが挿入されていたが、筆者にとって最も印象的だったのが、故ジェラルド・リヴァート(Gerald LeVert/2006年に心臓発作のため40歳の若さで死去/フィラデルフィア・ソウルの立役者であるオージェイズのリード・ヴォーカルのひとりエディ・リヴァートの息子)がカヴァーした、この「Reach Out I’ll Be There」であった。父親譲りの豊かなバリトン・ヴォイスの持ち主だったジェラルドは、リーヴァイへのありったけの尊敬と憧憬の念を込めて、オリジナル・ヴァージョンと一言一句違わぬ歌詞で歌ったのだ。この曲は、ダイアナ・ロスを始めとして、複数のアーティストによってカヴァーされてきたが、ジェラルドのカヴァーほど筆者の心を鷲掴みにしたものは他になかったと言ってもいいほど。当時、同映画の試写会を観たのだが、そのシーンでジェラルドとリーヴァイの姿がピタリと重なって見え、込み上げてくる熱いものを抑え切れなかった。言わずもがなだが、1960年代のモータウン黄金期を語る上で、決して避けては通れない1曲である。
曲の要旨
絶望的になって、生きる気力を失いかけたり人生に幸せなんて訪れないと思い込んだりして、何もかもがイヤになった時には、愛しい人よ、どうか僕に助けを求めておくれ。頼むから早まった真似をしないでくれよ。君が生きることを諦めかけた時には、僕の手を取って安堵感を感じてくれ。君が窮地に陥っている時には、側に駆け付けて君を愛して守ってあげるから。君が必要としている愛情を残らず君に与えてあげる。さぁ、僕の方へ手を伸ばして、僕に救いを求めてくれよ。
1966年の主な出来事
アメリカ: | NOW(National Organization for Woman/全米女性機構)が結成される。 |
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日本: | ビートルズが来日し、武道館でコンサートを行う。 |
世界: | 中国で文化大革命(通称「文革」)が始まる。 |
1966年の主なヒット曲
We Can Work It Out/ビートルズ
Summer In The City/ラヴィン・スプーンフル
You Can’t Hurry Love/シュープリームス
Last Train To Clarksville/モンキーズ
Poor Side of Town/ジョニー・リヴァーズ
Reach Out I’ll Be Thereのキーワード&フレーズ
(a) reach out
(b) see someone through
(c) peace of mind
まずは、この曲が大ヒットした1966年という時代背景を考えてみて欲しい。アメリカは公民権運動の渦の中にあった。モータウンの創設者で初代社長のベリー・ゴーディ・Jr.は、「我々はブラック・ピープルのためではなく、世界(の人々)のための音楽を作るんだ」と公言していたが(けだし名言である)、だからと言って、同レーベルが社会運動に対して決して無関心だったのではない。その証拠に、ゴーディ自身がオープン・リール(カセット・テープがむき出しでデカくなったものと思って下さい)のデッキを持ち込み、公民権運動の最大の指導者だったマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師(Martin Luther King, Jr./1929-68)の演説をアメリカ各地で録音し、自ら設立したレーベルから計3枚のキング牧師関連のLPをリリースしているのだ。筆者はそれらのLPを10代後半に新品で入手したが、今でも時折、思い出しては耳を傾けている。もちろん、かの有名なスピーチ“I Have A Dream”の収録盤もアリ。
1966年と言えば、キング牧師が暗殺される2年前で、公民権運動の熱波が全米中に伝播していた頃である。そのことに思いを馳せると、この曲が単なるラヴ・ソングではなく、メッセージ・ソングにも聞こえるような気がするのだが……。試しに、曲のあちらこちらに登場する、愛する人への呼び掛け――darlingやbabyなど――を取り去った上で、今一度、歌詞に耳を傾けて頂きたい。成功するかどうか、不安な心を抱えつつも社会運動に身を投じている人々を励ます歌には聞こえないだろうか? 筆者がそのことに気付いたのは、高校3年生の時に英語のリーダーの教科書で“I Have A Dream”を学んだ際に、改めてこの曲を聴き直してみた時のこと。ひょっとしたらこれは、ラヴ・ソングを隠れ蓑にした公民権運動のテーマ・ソングのひとつではないか、と。ただ、当時の筆者は貪るようにキング牧師や公民権運動関連のノンフィクションを読み漁っていたので、それらに感化されての深読みの域を出ないかも知れないが……。
(a)はソーシャル・ネットワーク全盛時代の現代を映し出すかのようなイディオムで、「交友の輪を広げる、大勢の人々と接触したり連絡を取ろうとしたりする」という意味。が、ここでは、その意味だと曲の本意とはかけ離れてしまう。(a)には「助けを乞う、救いを求める」という意味もあり、この曲ではそれを意図している。また、途中でリーヴァイが絞り出すような声で♪Reach out for me … と歌う箇所があるが、“reach out for ~”は「~をつかもうとして手を伸ばす」という意味であるから、(a)の意味とアドリブ気味に歌われているそれとを足すと、「僕に届くように君の手を差し伸べて、僕に救いを求めてくれ」となるだろうか。この曲を聴くと思い出さずにはいられないのは、フォー・トップスのレーベルメイトだったダイアナ・ロスのソロ・デビュー曲「Reach Out And Touch (Somebody’s Hand)」(1970/全米No.20)である。ただし、こちらは完全なるメッセージ・ソングで、テーマは“人類の融和”だった。もしかしたら、1960年代半ば~1970年代初期頃に、アフリカン・アメリカンの人々の間で“Reach out (for me).”というセリフが流行していたのかも知れない。
今ではすっかりかり定着している「シースルー」だが、その言葉は形容詞“see-through(透けて見える)”をそのままカタカナ語化したもの。そのことを考えれば、(b)の意味は自ずと解るはず。そう、「~を見透かす、~の正体を見破る、~に見通しを付ける」といった意味のイディオム。ところがここにもまた、意外な意味が潜んでいた。それは、「困っている人を(その人が苦境から脱することができるまで)助けてあげる、~の面倒をみる」という意味で、ここではそうした意味で使われている。この曲で用いられているその言い回しを他の英語に書き換えるなら、次のようになるだろうか。
♪I’ll always take care of you.
♪I’ll help you over.
(b)は洋楽ナンバーでしばしば見聞きする言い回しで、大抵の場合、この曲での意味と同じそれで用いられていることが多い。
(c)は読んで字の如く「心の平穏」という意味のイディオムで、辞書では“peace”の項目に載っている。ここで肝心なのは、“mind”が無冠詞である点。“mind”は不可算名詞でもあり可算名詞でもあるが、(c)のイディオムはある種の決まり文句のようなもので、ここには冠詞が付かない。これまた洋楽ナンバーに頻出する言葉だが、ラヴ・ソング、メッセージ・ソングのどちらでも見聞きする。(c)を含む洋楽ナンバーを耳にする度に、結局のところ、人間にとって最も大切なのは「心の安らぎ」なのかも知れない、と筆者は思う。「病は気から」ともいうではないか。
フォー・トップスのラヴ・ソングは、H-D-Hが綴った親しみ易いメロディと歌詞のお蔭で、意味は解らずとも、それらは幼い筆者の心に響き渡った。彼らにとって「I Can’t Help Myself」(1965/R&Bチャートでは何と9週間にわたってNo.1)と並ぶ二大全米No.1ヒットがこの「Reach Out I’ll Be There」で、前者を彼らの“陽”とするなら、後者は“陰”の部分を最大限に押し出した名曲。孤独で夢も希望も失い、今にも崩れ落ちそうになっている愛しい女性に向かって、抜けるような青空の如く明るいメロディで「僕に救いを求めてよ」と歌っても、そりゃあ信憑性に欠けるだろう。相手の女性が「私、からかわれてるのかしら……?」と思うかも知れない。メロディが陰影を帯びているからこそ、この曲でのリーヴァイと彼を支えるスリー・トップスの歌声に、歌詞の持つ物語性が合致するのだ。