タイプライターに魅せられた女たち・第95回

メアリー・オール(4)

筆者:
2013年8月29日

1889年1月8日、オール女史は、ボストンにいました。オール女史は、ボストンのブライアント&ストラットン商業学校で開催されたタイプライターコンテストに、ゲストとして招かれていました。

ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社と契約を結んで以来、オール女史の生活は、多忙を極めていました。レミントン・タイプライターを代表する世界一のタイピストとして、アメリカ各地を鉄道で、旅から旅を続けていました。それは、ある意味、タイピストというより、旅芸人としての生活だったのです。一方、ブライアント&ストラットン商業学校の校長ヒバード(Hermon E. Hibbard)は、このタイプライターコンテストの優勝者と準優勝者に、合わせて150ドルの賞金を準備していました。商業学校の学生たちに、簿記のみならず、速記やタイプライターにも興味を持たせるべく、ヒバードは、このタイプライターコンテストを企画したのです。同時に、世界一のタイピストの技術を、学生たちの目の前で披露してもらうことにより、学生たちのタイピストへの意欲を、鼓舞したいと考えていたのです。

ただ、結果的に、このタイプライターコンテストは、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社のお手盛りとなってしまいました。コンテストの参加者は、ソルトレークシティから来たマッガリン、カラマズーから来たマッガリンの弟チャールズ(Charles Henry McGurrin)、ニューヨークから来たマインケ女史(Eva Meincke)の3人で、いずれも「Remington Standard Type-Writer No.2」を使用していました。地元ボストンのタイピストは、コンテストに参加していませんでした。「Caligraph No.2」のオペレータとして知られる、ユニオン・パシフィック鉄道のキャンフィールド(Edward Canfield)は、コンテストの参加者ではなく、審判を務めることになっていました。

オール女史も、コンテストの参加者ではなく、あくまでゲストとして、その腕前を披露しました。口述タイピングでは、1分間あたり100ワードものスピードを、2本指打法で叩きだしました。さらに、手書き文書の清書では、1分間で108ワードも叩きましたが、たった1個所だけ間違いがありました。

タイプライターコンテストそのものは、口述タイピングが30分間と、手書き文書の清書が30分間、の二本立てでおこなわれました。口述タイピングでの読み上げは、オール女史がおこないました。判定の結果は、マッガリン兄が合計4550ワードで優勝、賞金の100ドルを手にしました。2位はマインケ女史で、合計4325ワード、賞金50ドルを手にしました。優勝したマッガリンは、目隠しタイピングのデモンストレーションをおこない、目隠しで1分間89ワードのスピードを披露しました。優勝したマッガリンの腕前は、オール女史に匹敵するが、それでもオール女史より少しだけ遅い、という演出が、そこかしこでなされたのです。

メアリー・オール(5)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。