(前回からのつづき)
「蛇」と同じページではなくて、右隣のページなのですが、「あれ?」というものが目に入りました。このように一つの言葉を引いたら、せっかくなので周りをよく見て下さい。
㊀と㊁は、別物で同じ物ではありませんね。でも、同じ言葉で呼ぶ時もあるようです。知りませんでした。みなさんご存じでしたか。そういう時は、相手はきちんと一体どちらを差しているのか、理解できるものなのでしょうか。わたしは、あまり自信がない。
これ、うまいです。言われてみれば確かにそうです。特に親しくない人、気持ちの無い人に対して、「別離」という言葉は使わない。
これも、うまいです。「斬られて間もない」というところが、ポイントなのでしょう。
これも、うまいですね。しかも、こう思えることは、しあわせです。嫌なことばかりだったので、当時の友人・知人には辛くて会えません、という訳ではないからです。そして、今もしあわせでないと、その人たちにも会いたくないでしょう。読んでいて、「良かったね」と思いました。
今、「思い出」を引こうとしました。その前に、別の物を見つけてしまいました。
あはは、おかしい。「痛いほど分からせる」に実感がこもっている。相手に分かるといいですが、そういう人(奴)は、だいたい鈍くて分かりも悪そうです。自分が無視したり蔑視したことも、もはや遠い思い出になっているかもしれません。こういう場合、もちろん一生懸命がんばった人が立派です。きっと新解さんのこの熱い語釈も、「分からせた」ことがあるから出てきたはずで、本人が痛い目にあったからではないでしょう。わたしたちは痛くはありませんが、「この語釈を見よ物件」では、新解さんの気持がちゃんと伝わります。
* この語釈を見よ物件 追記
先日、必要があって「必要悪」を引いてみました。
このように、濃い味の語釈は、一体何版からこうなったのか調べたくなる。
初版・二版には項目がない。三版から「必要悪」は出てくる。
四版
四版では、三版にあった「漁民によるイルカの大量撲殺」「商社にとっての賄賂」の記述が無くなって「やれやれ」と思うけれど、「会社にとっての総会屋・リベート」が加わった。で、「ああ、五版では一体どうなるの」と、思ったら、五版から八版まで同じ「必要悪」でした。ですから今の八版には、「会社にとっての総会屋・リベート」が必要悪だとは、書いてない。四版から五版に改訂する時、何かあったのでしょうか。
さて、今はもう春ですが、去年の夏も暑かったです。
夏を思って「サンダル」を引いたのですが、思いがけず新解さんの力技を見てしまいました。サンダルの語釈に、わらじが出ている。そうか、ギリシャ人・ローマ人がはいたのか。他の国の人たちは、はいていなかったの? そして、わらじとくつって違うし、その違いってどこだろう、とも考えました。
初版
初版の㊂では、げたをサンダルと呼んでいたことになっている。昭和47年だとそうなのか?
二版・三版
二版からの㊂には、げたの記述は無くなっている。昭和54年のことです。
四版から今の語釈になっていて、奥付は西暦の1991年で表記されている。これは平成3年のことです。八版の「サンダル」の㊁の語釈に「㊁昔のサンダルに似せて作った婦人靴。」とありますが、今は男の人のサンダルもある。それとも、男の人のはくものについては、㊂の「突っかけ」に含めるのか。次の九版が出たら、「サンダル」の㊁の婦人靴の語釈がどうなったか、楽しみに引きたいと思います。