『日本国語大辞典』をよむ

第92回 いろいろなプロ

筆者:
2022年3月27日

ふだん見かけたり、耳にしたりする外来語で、どのような語義で使われているかは文脈などからだいたい推測できるが、原語まではわからないという語がある。特に省略されている語形の場合、辞書によって「そういう語だったのか」と確認できることが少なくない。

アジプロ〔名〕({洋語}「アジテーション」の略「アジ」に、「プロパガンダ」の略「プロ」が付いた語)労働運動における扇動的宣伝。また、扇動と宣伝。*芸術運動に於ける前衛性と大衆性〔1929〕〈勝本清一郎〉「芸術作品の大衆化と、芸術作品でない『大衆の直接的アヂ・プロのための作品』の製作とは、区別されてゐるのだ」*刻々〔1933〕〈宮本百合子〉二「ブルジョア選挙のバクロと階級的候補者支持、選挙をどう闘ふべきかといふことのアヂプロを行った」

現代は「アジプロ」という語を使う場面そのものが少ないだろうが、「agitation」(=強い調子の文章や演説などによって人々の気持ちを煽ること・扇動)+「propaganda」(=政治的意図を持つ宣伝)で「アジプロ」ということだ。三省堂の「ことばのコラム」「10分でわかるカタカナ語」の第48回「プロパガンダ」で「アジテーション」と「プロパガンダ」が詳しく説明されている。『日本国語大辞典』があげている使用例はいずれも「アジ」ではなく「アヂ」と書かれている。これは「agitation」という原語の綴り「agi」が意識されているのだろう。インターネットで調べてみると、「アジテーション」は認知症に起因する興奮状態をあらわす医学用語としても使われていることがわかる。『日本国語大辞典』には次のようにある。

アジテーション〔名〕({英}agitation )激しい調子の演説や文章などによって、多くの人の感情に訴え、人びとを自分の意図する行動にかりたてようとすること。扇動。アジ。*アルス新語辞典〔1930〕〈桃井鶴夫〉「アジテーション 英 agitation 煽動又は煽動すること」*愛の渇き〔1950〕〈三島由紀夫〉三「悦子さんの味方としてアドヴァイスしたいんだけどね、むしろアジテイションかな」*自由の彼方で〔1953~54〕〈椎名麟三〉三「組織の拡大とアジテーションの積極化であった」

あげられている使用例は1930年のものから始まり、1950年代のものまでであるので、いわば70年前までの「アジテーション」ということになる。そのことからすれば当然といってもよいが、医学用語としての「アジテーション」については記述がない。「外来語のその後」についての記述を体系的に補強するということはあってもよいように思う。

「アジプロ」の項目を読んでいて「そういえば演劇などで使う「ゲネプロ」という語があったな」と思った。「ゲネプロ」はいかにも省略語形的にみえる。『日本国語大辞典』には次のようにある。

ゲネプロ〔名〕({ドイツ}Generalprobe (「総稽古」の意)から)演劇、オペラ、バレエなどで、初日の前に本番通りに行なうリハーサルのこと。

「ゲネプロ」はドイツ語の「Generalprobe」(ゲネラールプローベ)の略称ということだ。ドイツ語の「General」には「総合」、「Probe」には「試験」「検証」という語義があるので、「Generalprobe」はいわば「総合検証」ということになる。同じ「プロ」でも、「アジプロ」の「プロ」はラテン語「プロパガンダ(propaganda)」の「プロ」で、「ゲネプロ」の「プロ」はドイツ語「ゲネラールプローベ(Generalprobe)」の「プロ」で、そもそももとになっている言語が異なる。こうなると、「~プロ」を調べてみたくなる。こういう時に、オンライン版の「後方一致」検索は便利だ。範囲を「見出し」にして、「条件」を「後方一致」にして検索をすると、「~プロ」という見出しがヒットする。

たとえば、「職業的、専門的でないこと。特に野球で、プロ野球以外の実業団所属のチームや選手についていう」という語義の「ノンプロ(nonprofessional)」もあれば、「大量生産」という語義の「マスプロダクション(mass production)」の省略語形である「マスプロ」もある。 また「ワードプロセッサー(word processor)」の省略語形である「ワープロ」も少し前まではよく使われた語といってよい。こういう語を検索してどうするのか? と質問されるかもしれないが、単純におもしろいという気持ちがある。いろいろな外国語を、日本語の語彙体系にあったかたちに変えながらとりこむという日本語の「いきかた」がこういうところにもあらわれていると思う。ラップ好きの人だったら、「アジプロ、ゲネプロ、ひとっ風呂」などと韻をふんだフレーズを作るのも一興かもしれない。それにしてもできがわるいですね。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。