人名用漢字の新字旧字

第32回「遡」と「遡」

筆者:
2009年3月26日

旧字の「」(2点しんにゅう)は、人名用漢字なので子供の名づけに使えます。でも、新字の「」(1点しんにゅう)は子供の名づけに使えません。旧字の「」は出生届に書いてOKですが、新字の「」はダメ。でもこれは、むしろ国語審議会と文化庁の方針だったのです。

常用漢字以外の漢字の字体に関して議論を進めていた国語審議会は、平成10年6月24日、文部大臣に表外漢字字体表試案を報告しました。表外漢字字体表では、旧字の「」が印刷標準字体として、新字の「が簡易慣用字体として、それぞれ示されていました。この報告の意味するところは、印刷物には原則として旧字の「」を用いるのが望ましいが、必要に応じて新字の「」を用いてもかまわない、ということでした。

ところが、平成12年12月8日に国語審議会が答申した表外漢字字体表では、印刷標準字体に旧字の「」が収録されていたものの、新字の「」は掲載されていませんでした。その代わり、旧字の「」には、3部首許容というアヤシゲなものが付加されていました。表外漢字字体表では、しんにゅう、しめすへん、しょくへんの3部首の漢字については、たとえ印刷標準字体として旧字体が示されていても、しんにゅう、しめすへん、しょくへんを新字体で印刷してもかまわない、ということになっていました。つまり、旧字の「」(2点しんにゅう)が印刷標準字体として示されていても、必要に応じて新字の「」(1点しんにゅう)を印刷に用いてもかまわない、ということだったのです。

平成16年2月20日、経済産業省は、漢字コード規格JIS X 0213を改正しました。文化庁の要求に応じて、表外漢字字体表に対応させるためです。元々JIS X 0213には、第1水準漢字に新字の「」が掲載されていたのですが、改正後のJIS X 0213では、新字の「」の代わりに、旧字の「」が掲載されました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、1ヶ月前に改正されたばかりのJIS X 0213、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「」は、JIS X 0213の第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が626回でしたから、文句なしに人名用漢字の追加候補となりました。一方、新字の「」は、JIS X 0213には掲載されていなかったので、審議の対象にすらなりませんでした。平成16年8月25日、人名用漢字部会は追加候補488字を選定し、法制審議会に報告しました。この488字の中に、旧字の「」は含まれていましたが、新字の「」は含まれていませんでした。平成16年9月27日、戸籍法施行規則は改正され、これら追加候補488字は全て人名用漢字になりました。旧字の「」は人名用漢字になりましたが、新字の「」は人名用漢字になれませんでした。

ちなみに、本日(平成21年3月26日)、文化庁は国語施策懇談会を開催します。旧字の「」(2点しんにゅう)を、新常用漢字表(仮称)に追加することに関して、説明会をおこなうようです。新字の「」(1点しんにゅう)をあえて避けたのはどうしてなのか、いったいどういう説明がなされるんでしょうね。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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