人名用漢字の新字旧字

「巫」は常用平易か(続編第3回)

筆者:
2014年12月8日

しかしそれでも、「天巫」ちゃんの両親は、松阪市長の意見を呑むことにしました。次女の名を「天巫」とする追完届を、平成25年10月23日、松阪市役所に提出したのです。松阪市長は10月25日、この追完届を不受理処分にしました。「巫」が、常用漢字でも人名用漢字でもないから、というのが不受理の理由でした。これを受けて両親は、先の不服申立[平成25年(家)第485号]をいったん取り下げ、11月25日、あらためて津家庭裁判所松阪支部に不服申立[平成25年(家)第911号]をおこないました。「巫」は、戸籍法第50条でいうところの「常用平易」な文字なので、「天巫」と名づけた追完届を受理するよう松阪市長に命令してほしい、という形で、出生届の受理ではなく、追完届の受理を求める不服申立をおこなったのです。

この新たな不服申立に対しても、松阪市長は全面的に争う構えを見せました。松阪市長が津家庭裁判所松阪支部に提出した意見書(平成26年1月9日)を見てみましょう。

本件出生子の名に用いられた「巫」の文字について検討するに,「巫」は,JIS第2水準の漢字である。部会では,JIS第2水準の漢字は,個別的分野用漢字として選定されたものであることから,常用平易性を個別に検討し,常用平易性の認められるものについてのみ人名用漢字に追加するのが相当とされ,「漢字出現頻度数調査(2)」(「巫」は2592位とされた。なお,この調査の次版では,2683位となっている。)の結果を活用して出現頻度や要望の有無・程度などを総合的に考慮して選定された字に含まれなかったものである。そして,常用平易性につき有識者による検討が重ねられた結果,平成16年9月27日に改正(その後平成21年4月30日に一部改正)された施行規則別表第二に「巫」の字は含まれていない。

「部会」(平成16年の法制審議会人名用漢字部会)の検討の結果、「巫」は「常用平易」だと認められなかった、という主張です。人名用漢字部会が、第2水準漢字に対して非常に冷淡だったことを調べた上で、松阪市長はこの意見書を提出してきたのです。実際「巫」は、人名用漢字部会が「泪」を落とす際に、巻き添えとなって落とされた漢字なのです。

人名用漢字部会は平成16年5月28日、第2水準漢字の「泪」を人名用漢字追加候補から落とすために、第1水準漢字と第2水準漢字とで異なる選定基準を設定しました。第1水準漢字は、漢字出現頻度数が200回以上であれば、「常用平易」な漢字だとみなし、全てを人名用漢字追加候補としていました。一方、第2水準漢字は、漢字出現頻度数が200回以上であっても、不受理とした法務局数が6以上なければ選定しない、という不当に厳しい基準としたのです。

第1水準漢字 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上
8~10
6~7
0~5 × ×
第2水準漢字 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上
8~10 ×
6~7 × ×
0~5 × × ×

それというのも、「泪」の出現頻度数は218回(2960位)、不受理の法務局数は5だったからです。第2水準漢字の「泪」を落とすためには、法務局数を5で切ってしまう必要がありました。一方、「巫」は出現頻度数が418回(2592位)、法務局数は4でした。「巫」は、頻度数による限り、明らかに「常用」されていたにもかかわらず、「泪」の巻き添えで落とされてしまった漢字だったのです。

続編第4回につづく)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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