平成25年6月13日、三重県の松阪市役所に、とある夫婦の次女の出生届が提出されました。夫婦は次女に「天巫」と名づけており、出生届にもそう記入したのですが、松阪市役所は「天巫」ちゃんの出生届を受理しませんでした。「巫」が、常用漢字でも人名用漢字でもなかったからです。「天巫」ちゃんの父親に対し、窓口の職員は、「巫」の字を変えるか、さもなくば家庭裁判所に不服申立をおこなう必要がある、と説明しました。出生届は提出できないのか、という「天巫」ちゃんの父親の質問に対しては、窓口の職員は、名未定の出生届であれば受理できるが、「巫」を名に含む出生届は受理できない、と説明しました。
やむをえず、「天巫」ちゃんの父親は、名未定の出生届を提出しました。その上で平成25年6月26日、「天巫」ちゃんの両親は、津家庭裁判所松阪支部に不服申立[平成25年(家)第485号]をおこないました。「巫」は、戸籍法第50条でいうところの「常用平易」な文字なので、「天巫」と名づけた出生届を受理するよう松阪市長に命令してほしい、と申し立てたのです。これに対し、松阪市長は全面的に争う構えを見せました。松阪市長が津家庭裁判所松阪支部に提出した意見書(平成25年9月18日)を見てみましょう。
戸籍事件について,市町村長の処分を不当とする者は,戸籍法121条の規定により家庭裁判所に不服の申立てをすることができるが,同条に定める「市町村長の処分」として不服申立ての対象となるものは,戸籍事件についての市区町村長のした違法処分であると解され,一旦届出を受理して戸籍の記載がされたときは,その記載が不適法又は真実に反する場合は,戸籍訂正の手続によるべきで,本条の規定による不服申立ては許されない(青木義人・大森政輔「全訂戸籍法」471, 472ページ)。
窓口係職員が,申立人に対し,子の名に用いることを希望している「巫」の字は子の名に用いることができない旨説明したところ,申立人は子の名が未定の旨の出生届を提出したため,当職はこれを受理し,戸籍に名未定の子について記載をしたのであるから,当職が本件において行った処分は,子の名を未定として出生届の受理処分のみである。当職は,受理した出生届に基づき既に戸籍記載をしているから,戸籍訂正手続によらずに,出生届の受理処分に対する不服申立てをすることは許されない(なお,本件では,子の名を定める追完届が提出され,これに対する不受理処分がされた場合にはじめて不服申立てをすることが可能となる。)。
したがって,本件不服申立ては,戸籍法121条の規定による不服申立ての要件を満たさず,不適法であり,却下を免れない。
家庭裁判所への不服申立を促したのは、松阪市役所の窓口職員の方だったはずなのに、この松阪市長の意見書の筋立ては、さっぱりわけがわかりませんね。とりあえず、戸籍法第121条を見てみましょう。
第百二十一条 戸籍事件(第百二十四条に規定する請求に係るものを除く。)について、市町村長の処分を不当とする者は、家庭裁判所に不服の申立てをすることができる。
戸籍法第124条を除く、とは書かれていますが、争いの種となっている戸籍法第50条(第1回参照)は除かれていません。実際、「穹」の名づけが争われた事件(第2回参照)では、「名未定」の出生届を受理した都島区長に対し、あらためて、子供の名に「穹」を含む出生届を受理するよう、大阪高等裁判所が命令しています[平成19年(ラ)第486号、平成20年3月18日決定]。松阪市長は『全訂戸籍法』(日本評論社、昭和57年9月)を引用していますが、『全訂戸籍法』は法律書としては化石のような古さで、昭和60年以降の戸籍法改正に全く追随していませんし、もちろん「穹」の判例もフォローしていません。実際、『全訂戸籍法』471ページに書かれているのは、昭和57年当時の戸籍法第118条であって、現在の戸籍法第121条ではないのです。
(続編第3回につづく)