筆者が勤める大学はJR品川駅からも五反田駅からも、大崎駅からも歩いて行くことができる。筆者は、帰りは品川に向かうことが多い。品川から大学へ行く道の途中に「ユニセフハウス」がある。調べてみると、2001年7月にオープンした施設で、開発途上国の保健センターや小学校の教室、緊急支援の現場などを再現した常設展示がされ、ミニシアターやホールを備えていることがわかる。時々中学生ぐらいの集団が入っていくのを見たような記憶がある。
「ユニセフハウス」は施設の名だから、『日本国語大辞典』には見出しになっていないが、「ユニセフ」は見出しになっている。
ユニセフ【UNICEF】({英}United Nations International Children’s Emergency Fundの略)国際連合国際児童緊急基金の略称。一九四六年設立。第二次世界大戦の犠牲となった児童の救済を主な仕事としたが、のち開発のおくれた国などの児童養護計画援助を行なう。一九五三年に国際連合児童基金(United Nations Children’s Fund)と改称、国連の常設機関となった。略称はそのまま使用。五九年に国連総会で採択された国際連合児童権利宣言を指導原則としている。本部ニューヨーク。
上の説明からすれば、1953年の改称をうけて略称を「UNCF」としてもよかったことになるが、そうはしないで当初の略称をそのまま使っているということになる。「ユニセフ」は日本においてもひろく使われる略称であるので、省略しないもともとの語形を耳にしたり目にしたりすることがほとんどないが、それ以上に「国際連合国際児童緊急基金」という、いわば訳語形にはふれることがない。「緊急基金」だったのか、と思った。こうなると「ユネスコ」についても知りたくなる。
ユネスコ【UNESCO】({英}United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略)国際連合教育科学文化機構の略称。国連の一専門機関。一九四五年議決されたユネスコ憲章に基づいて翌年成立。平和の精神こそ安全保障に寄与するという主張のもとに、教育・科学・文化を通じて諸国民間に協力を促し、世界の平和と繁栄に貢献することを目的としている。本部パリ。日本は昭和二六年(一九五一)加盟。
こちらも1946年に設立されている。ただし説明では「成立」という語が使われている。「ユニセフ」には「設立」、「ユネスコ」には「成立」という語を使ったことに何らかの意図があるかどうか。いずれにしても、第二次世界大戦を顧みての設立である。教育や科学、文化を通じて世界の平和をめざす、という考え方は「王道」だと思うが、現在はそうした考え方からどんどん離れていっているように感じる。
「UNICEF」や「UNESCO」は「アルファベット略語」と呼ばれることがあり、カタカナ語辞典に載せられていることが多い。もとになっている語が長くて記憶しにくいから略語が使われるのだろうから、もとの語は「知らない」ことも少なくないだろう。近時「iPS細胞」という語がよく使われたことがあった。「iPS」は「induced pluripotent stem cell」の略で、「誘導多能性幹細胞」と訳されている。「iPS(細胞)」は(当然のことと思うが)『日本国語大辞典』は見出しとしていない。
「IT」もよく使われる語である。これは見出しとなっている。
アイティー【IT】〔名〕({英}information technologyの略)情報技術。「IT革命」「IT産業」
しかし、語釈が少し寂しい感じだ。『コンサイスカタカナ語辞典』第4版(2010年、三省堂)を調べてみると、語釈には「情報技術. 特にコンピューターとネットワークを利用したデータ収集や処理の技術・処方. 工学的技術から企業経営,人文・社会科学,コミュニケーションまでその応用範囲を広げている」とある。実際的な技術の拡大により、応用範囲が広まり、それに伴って、そのように呼ばれる対象も広くなり、といういわば「相乗的な」「動き」を背景に、頻繁に使われるようになった語といえよう。古くからある語には、そうした語の「歴史」があり、新しく使われるようになった語には、そうした語の(またひと味違う)「歴史」がある。「歴史」は古いものにしかない、ということでもない。『コンサイスカタカナ語辞典』には「IT移民」「IT革命」「IT基本法」「IT砂漠」「IT産業」「ITスキル標準」「ITバブル」「IT不況」という見出しもあった。「IT基本法」は平成12(2000)年に制定された法律であるが、正式名称は「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」であるので、この正式名称の略称ということでもなく、「通称」ということになりそうだ。
見出し「ユネスコ」の少し先に「ユネスコむら」があった。
ユネスコむら【―村】埼玉県所沢市にある遊園地。昭和二六年(一九五一)日本のユネスコ加盟を記念してつくられ、世界各国の住居などを展示していたが、平成五年(一九九三)に大恐龍探検館に作り替えられた。
この見出しをみて、小学生の頃に、遠足でユネスコ村に行ったことがあったことを思い出した。細かいことはほとんど何も覚えていない。小学校5年生ぐらいだっただろうか、それもはっきりしない。遠足に行った後で、遠足の時のことを絵に描くことが多かったように思うが、その絵にトーテムポールを描いたおぼろげな記憶がある。あるいは他の人が描いたのかもしれない。「世界各国の住居などを展示していた」とあるので、そうした住居の中で印象が強かったのだろう。そのユネスコ村が大恐竜探検館になっていたことを、『日本国語大辞典』で知るというのも、何か不思議な驚きだった。『日本国語大辞典』をよんでいるとこんなこともわかる。