人名用漢字の新字旧字

第6回「青」と「靑」

筆者:
2008年3月6日

人名用漢字としての「靑」の立場は、かなり微妙です。旧字の「靑」は、昭和56年9月30日まで子供の名づけに使えたのですが、翌10月1日以降は使えなくなりました。現在も使えません。これに対し、新字の「青」は、今も子供の名づけに使えます。つまり、昭和56年9月の時点では、「青」も「靑」も出生届に書いてOKだったのが、 10月になって、「青」はOKだが「靑」はダメ、という風に変わったのです。

戸籍法が昭和23年1月1日に改正された時点では、 当用漢字表に「靑」が収録されていたので、旧字の「靑」だけが子供の名づけに使えました。その後、昭和24年4月28日に当用漢字字体表が告示されて、新字の「青」も、旧字の「靑」と同様に、子供の名づけに使えるようになったのです。ここまでは、 「櫻」「國」と良く似たパターンですね。でも、この後が違うのです。

昭和53年6月30日、当用漢字表の改善を審議していた国語審議会は、「子の名に用いる漢字及びその扱いについて」の審議を実質的にあきらめ、人名用漢字については法務省にゆだねることを決定しました。国語審議会は、新しく作る常用漢字表の審議で手一杯だったのです。法務省では、昭和54年1月25日に民事行政審議会を発足させ、そこで人名用漢字の審議をおこなうことにしましたが、審議の中で問題になったのは、当用漢字表がまもなく廃止になるという点でした。当用漢字表がなくなってしまうと、「櫻」や「國」や「靑」のように当用漢字表を根拠としている旧字が、その根拠を失います。子供の名づけに使えなくなってしまうのです。常用漢字となるのは新字の「桜」や「国」や「青」であって、旧字の「櫻」や「國」や「靑」ではないのです。

常用漢字表案(昭和54年3月30日、国語審議会中間答申)をチェックしていた民事行政審議会は、あるアイデアに辿りつきました。常用漢字表案の新字には、カッコ書きで旧字が添えられていたのですが、このカッコ書きの旧字をも、子供の名づけに認めようというアイデアです。たとえば「桜(櫻)」に対しては、「桜」も「櫻」も認めようというアイデアです。しかし、このアイデアに反対する意見もありました。常用漢字表案のカッコ書きの旧字を、新字と同等に扱うのは不適当だ、というのです。カッコ書きの旧字を、子供の名づけに認めるべきか否か。民事行政審議会はモメました。

国語審議会が常用漢字表を答申(昭和56年3月23日)するに到り、民事行政審議会は、この議論に終止符を打つ必要に迫られました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを、子供の名づけに認める、という妥協案です。ところが、 常用漢字表の「青」には、カッコ書きの旧字が添えられていませんでした。この結果、民事行政審議会答申(昭和56年5月14日)では、新字の「青」だけが子供の名づけに使えて、旧字の「靑」はダメということになってしまいました。昭和56年10月1日、常用漢字表が内閣告示されると同時に、戸籍法施行規則も改正され、旧字の「靑」は子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いているのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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