学域に関する議論の続きを読みましょう。
故に今政事學を以て專務と爲す人に依りて、器械の事を以て問んと欲するとき、其人縱令器械の學を知ると雖も之を他に讓りて敢て教へさるを常とす。
(「百學連環」第1段落第12文)
訳してみます。
そのようなわけだから、例えば政治学を専門とする人から、器械について教えてもらおうと思ったとして、たとえその人が器械学について知っているとしても、それについては他の人〔器械学の専門家〕に任せて、普通、敢えて自ら教えることはないのだ。
これもまた現代の私たちにとって分かりやすいことかもしれません。特定分野の専門家たちが、「それは自分の専門ではないから」と言っている場面に遭遇することがあります。
例えば、法学の先生たちのシンポジウムなどを聴いていると、「私は刑法が専門なので、民法については○○先生に伺いましょう」というふうに、お互いの専門領域を尊重しあったりします。法学という学域の中が、さらに憲法、民法、刑法などなどといった、各種法律の分類に応じて区別されているわけですね。他の領域でも似たようなことがあると思います。
それではなにをもって「専門」と称するかという疑問が浮かんできますが、これは「百学連環」を読み進めるなかで考えてみたいと思います。西先生はここで、学術においても餅は餅屋だと説明してるわけです。
このくだり、「百学連環」の二つの異本(甲本、乙本)でほとんど同じなのですが、乙本の欄外に次のような一文が見えます。
故に俗に洋學者たるものは總て西洋のことを知るものとなすは誤りなり
ちょっと微笑を誘われる注意です。洋学者を名乗る先生に、弟子や人びとがヨーロッパに関することをなんでもかんでも問うたり、また問われたほうも「うむ、それはだな……」と訳知り顔で(実はよく知らないことも)答える姿を、つい想像します(いえ、想像なのですが)。
なるほど、たしかに大きなくくりで考えると、「洋学者」なら洋学全般についてなんでも知っているという思い込みが生じるのも無理からぬことかもしれません。でも、「洋学」という当時の言い方は、「漢学」や「和学」のように、地理的・文化的な広がりのある大分類なので、一人の人がその全域に通じているということは、ちょっと考えづらいところ。
専門外のことは敢えて教えたりしないと言えば、それこそ門外からは、なんだかナワバリの問題のようにも見えますが、他方では自他の知と無知の境界線を弁えよということも含意されていそうですね。
ただ、面白いのは、「たとえその人が器械学について知っているとしても」という一言が挟まれていることです。知っているのであれば教えてよさそうなものだけれど、敢えてそうはしない。ひょっとしたら、そこには当時のヨーロッパの大学における職業としての教授職の問題が反映されているのかもしれません。
それにしても、西先生(この欄外のコメントが西先生による言だと仮定して)がわざわざこんなふうに注意を促したのは、「洋学者先生なら西洋のことをなんでも知っている」という思い込みが目についたからではないか、そんなふうに想像を逞しくさせられる一文でありました。
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者=者(U+FA5B)
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