「百学連環」を読む

第48回 仮想敵は誰か

筆者:
2012年3月9日

前回は、学術の根源に「知行」という互いに区別されるものがあるというくだりを読みました。「知」は五官を通じて外から入ってくるものであり、「行」はその「知」に従って内から外へ出るものだとのことでしたね。続きを見てみましょう。

故に知は先にして、行は後にあらさるへからす。知は過去にして、行は未來なり。

(「百學連環」第9段落第6~7文)

 

訳します。

したがって、知が先にあり、行は後にある他はないはずだ。知は過去であり、行は未来なのである。

冒頭で要約したように、前回読んだ箇所では、「知」と「行」が、どちらかというと空間的な喩えで論じられていました。ここでは「知」と「行」の時間的な順序が述べられています。仮に、まず外から「知」が入ってきて、それに続いて内から外へ「行」が出て行くのだと考えるなら、この順序は妥当に思えます。また、それを言い換えれば、「知」は過去であり、「行」は未来となるのでしょう。

ただ、なんとなくではありますが、知と行とをそれほどすぱっと割り切ることはできるだろうかという気もします。例えば、ドイツ語を学んでこれを活用して会話するという場合、ドイツ語の言葉や文法や文化を知ることが先にあって、それからようやくその知に基づいてドイツ語で話すという行いが可能となります。このような場合であれば、西先生の図式にわりあいすんなり当てはまるようです。

他方で、普段の私たちは「知」と「行」とを常に同時に並行させていないでしょうか。環境から五官を通じてさまざまな変化を感知しつつ、同時になにかを行っているとも考えられます。こうしたことについて、西先生はどう考えているのか、そうした疑問を念頭に置きながら、検討を進めてみましょう。

ここで本文を読み進める前に、欄外に置かれた「朱書」を見てみておきます。面白いことが書かれています。

歐陽明の説に知行合一といふあり。然れとも爲メになす所ありていふものにして敢て合一なるものにあらす。

訳せばこうなるでしょうか。

王陽明に「知行合一」という説がある。とはいえ、〔この説は〕為にするところがあって主張されているものであり、〔知行が〕合一しているわけではない。

ここで「知行」という言葉の来歴が垣間見えましたね。王陽明(1472-1528)の名前が見えることからお分かりのように、これは朱子学の伝統に由来する考え方なのでした。

前回読んだ箇所で、西先生がやや力を入れて(とは読み手の印象ですが)「知行はいかにしても區別あるものにして、一ツとなして見る能はさるものなり」と述べていたことを思い出しましょう。この主張と、最前見た欄外の朱書が呼応しています。

大雑把に言ってしまえば、王陽明は、朱子学において「知行」が分離して扱われていたのに対して、そんなふうには分けられまい、「知行」は一つと見るべきだと反論したわけです。

このことを考慮すると、西先生は朱子学の側に立っていることが分かりますね。力を入れた主張は、王陽明的な発想を、一種の仮想敵としたものだったことが垣間見えてきます。さて、議論はどう展開するでしょうか。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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