「百学連環」を読む

第50回 温故知新

筆者:
2012年3月23日

おかげさまで連載も50回目を迎えました。2011年の4月に開始して、もうすぐ1年となります。みなさまのご愛読に感謝申しあげます。ありがとうございます。

それにしても、これだけ回を重ねて、まだ4ページ目が終わるかどうかというところ。遅読の極みと申すべき読書であります。普通の読書が、車で道を飛ばす速さだとしたら、さしずめ徒歩でとことこ歩くといったところでしょうか。ただし、遅さには遅さのよさもあって、速度は出ない代わりに、車のスピードでは見落としてしまうかもしれないこともたくさん目に入ってきます。

引き続き、西周先生による講義「百学連環」の記録、その巻頭に置かれた総論を読了するところまで進んで参りたいと念じております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

と、前口上はこのくらいにして、前回の続きを見てゆきましょう。西先生が、「学術」という西欧由来の発想に対して、「知行」という儒学の考え方を並べて検討しているところでした。こんなふうに議論は展開してゆきます。

溫古知新の道理なるあり。溫古とは徒らに古事を穿鑿するにあらす。廣く古へよりして善惡の事を溫ね、折中して今に行ヒ用ゆ。是則ち知新なり。古を溫ね今世を明察す。

(「百學連環」第11段落第1~5文)

 

訳してみます。

「温故知新」という道理がある。「温故」とは、いたずらと古いことを根掘り葉掘り調べることではない。広く過去の善悪に関わることを研究し、よいところを取り合わせて現在において行い用いることだ。これがつまり「知新」である。要するに、過去を知った上で今の世における真相を見抜くのである。

「温故知新」は日本でもよく知られている『論語』の一節ですね。なぜここで引用されているかと言えば、直前で学術の根源である「知行」の特徴を説いていたことに関係しています。つまり、「知は廣きを以てし」と、知は広さが大切であると論じられていたのでした。

「温故知新」には、直接「広さ」についての言及はありません。しかし、その言わんとするところは、現在のことだけでなく、過去のことも視野に収めるべしということ、時間的な広がりの中でものを捉え考えることでした。西先生が「廣く古へより」と、「廣さ」という語を補って論じている所以です。

さて、このくだりを記した欄外に次のような一文が見えます。

夫子云欲敏於行冝なるかな。

これもまた『論語』からの引用ですね。ここで「夫子」とは、孔子のこと。訳せばこうなるでしょうか。

孔子が「〔君子は〕実行はすみやかにしたいと望むものだ」と言っているが、誠にもっともなことだ。

『論語』の「理仁第四」に見える「子曰、君子欲訥於言、而敏於行」からの引用だと思われます。西先生がここで省略している「訥於言」を復元しておけば、「君子は、口は重たくとも、実行はすみやかにしたいと望むものだ」というわけです。『論語』では、「言うこと」と「行うこと」の関係で、後者を重んじるという対比がなされています。「学而第一」には、「敏於事而愼於言」、つまり、「事に敏にして言に慎み」というくだりもありました。

続きをもう一段落読んでおきましょう。

孔子の語に信古好之ト、後儒誤りて徒らに古へを好ムとなすと雖も、是全く溫古知新の道理にして、廣く古への善惡を知りて其善を撰ひ、當今世の形勢に就て行ふを云なり。故に此語は古に通するを好ムと云ふ意なり。
又尚古の語あり。是亦同意なり。

(「百學連環」第12段落~第13段落)

 

現代語にしてみます。

孔子の言葉に「信じて古えを好む」とあるが、後世の儒者は間違ってこれを「いたずらに古いことを好む」と解釈した。だが、この言葉は「温故知新」の道理そのものであって、広く過去の善いもの悪いものを知った上でそこから善いものを選び、現在の状勢の中で実践することを言っているのである。つまり、この言葉は「過去に通じることを好む」という意味なのである。
また、「尚古」という言葉もあるが、同じ意味だ。

もはや贅言は不要でありましょう。私たちとしては、温故知新を重視する西先生が百学を見てゆく際に、こうしたことをどのように活かしているかということが気になります。例えば、歴史学の位置づけや、あるいは古代の言語の扱いなどにも、こうした考え方が反映されていると思います。続けて見て参りましょう。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。