文章を学ぶには五つの学を修める必要があるとした上で、西先生はさらに文献学について、古典語を学ぶべきことを説いていました。中でも、サンスクリットに関しては、次のように説明が続きます。
凡そ西洋の源は天竺にあるなれは、當時の言語は皆サンスキリットより出てたり。併シ方今各國言語の變化ありと雖も、其源は皆ナ一ツなり。故にサンスキリットは其源を正す學なり。譬えは father, vader, père, pater, pitar の如く古昔は言語一ツのものなるか故に、今尚ホ其音を同ふせり。是を正すか爲に當今はサンスキリットまても學を極むるを主とす。
(「百學連環」第30段落)
文中のアルファベットの語には、その左側に、次のような漢語が振られています。
father 英
vader 蘭
père 佛
pater 希
pitar 天竺
では、訳してみます。
およそ西洋の源はインドにあるのであって、当時の言語はいずれもサンスクリットから出ている。現在では各国の言語は〔互いに違うものへと〕変化しているといっても、その源は一つなのだ。したがって、サンスクリットは、その源を正す学である。例えば、father(英語)、vader(オランダ語)、père(フランス語)、pater(ギリシア語)、pitar(サンスクリット)といったように、これらはかつて言語が一つだったために、現在でも音が同じなのである。これを〔その語源に遡って〕正すために、いまではサンスクリットまで学び極めることが主流である。
サンスクリットとは、古代インドの言語の名称でした。日本語では、「梵語」とも呼ばれますね。上記のように、サンスクリットには、ヨーロッパの諸語と音の上でよく似た語彙が見られます。ついでながら、西先生が挙げていない言語について、いくつか補えば、
pater(ラテン語)
padre(スペイン語)
Vater(ドイツ語)
といった各言語についても、こうして並べてみると、類似していることがお分かりになると思います。
18世紀の終わり頃に、サンスクリットと古典ギリシア語やラテン語の類似を指摘して、これらの言語に共通の祖語が存在する可能性を論じたのは、イギリスの裁判官ウィリアム・ジョーンズ(William Joones, 1746-1794)でした。いまで言う、比較言語学の試みです。いわゆる「インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)」というまとめ方は、このような類似性から推定されたものです。
西先生の議論も、そうした比較言語の流れを受けているのでしょう。ヨーロッパ諸語の元を辿る場合、サンスクリットを見る必要があるという指摘がなされている次第です。また、サンスクリットは、仏典の漢訳などを通じて、日本語にも流れ込んでいます。
さて、連載開始直後の第3回「総論の構成 その1――「学術技芸」」から、第7回「総論の構成 その5――「真理」(後半)」までの5回にわたり、いま私たちが読んでいる「総論」がどのような構成になっているかということを眺めておきました。
そこでは、「百學連環」の内容に即して、編者の大久保利謙氏が作成した目次を検討しました。その大きな項目だけを改めて引用すると次の通りです。
緒言 百学連環の意義
学域
学術技芸(学術)
学術の方略 Means
新致知学
真理
今回の読解で、第三の「学術技芸(学術)」までを読み終わったことになります。次回からは、次の「学術の方略」のほうへと進んで参りましょう。引き続き、どうぞよろしくお願いします。