日本百科大辞典
明治41年(1908)11月22日第1巻刊行/本文1300頁
明治42年(1909)6月27日第2巻刊行/本文1400頁
明治43年(1910)3月24日第3巻刊行/本文1436頁
明治43年(1910)12月6日第4巻刊行/本文1420頁
明治44年(1911)12月5日第5巻刊行/本文1468頁
大正元年(1912)8月24日第6巻刊行/本文1470頁
大正5年(1916)3月12日第7巻刊行/本文1502頁
大正6年(1917)3月23日第8巻刊行/本文1528頁
大正7年(1918)4月1日第9巻刊行/本文1632頁
大正8年(1919)4月26日第10巻刊行/本文654頁、補遺訂正314頁、索引496頁
斎藤精輔編輯代表/四六倍判(縦261mm)
日本最初の本格的な百科事典である。これ以前には、経済雑誌社の『日本社会事彙』(初版は明治23~24年、再版は同34~35年)や冨山房の『日本家庭百科事彙』(明治39年)などがあった。前者は上下2巻本、後者は1巻本で規模が小さく、内容は日本に偏っていた。また、文部省はチェンバーズの『百科全書』を翻訳し、篇別の分冊形式で明治6年から明治16年にかけて刊行し、のちに合本も出版していた。
『日本百科大辞典』が企画されたきっかけは、ブリンクリーほか編『和英大辞典』(明治29年)の訳語選定の際、動植物関係の術語に難儀したことだった。明治31年に全1巻で発案したが、準備を進めるに従って膨れ上がっていき、第1巻刊行時には本文6巻、索引1巻の全7巻となる。それでも計画どおりにはならず、最終的には全10巻となった。
刊行前には「大冊見本」が作られた。表紙の「編修総裁 大隈伯爵」は、大隈重信である。顧問には、九鬼隆一、井上哲次郎、田尻稲次郎、坪内雄蔵(逍遥)、梅謙次郎、松井直吉、古市公威、三宅秀、分担執筆者には各分野の専門家が250人以上挙がっている。しかも、第1巻所載の12頁にわたる肖像写真入りだった。もちろん、本文の内容見本も89頁分あって、別刷りの図版ページも22頁分を付け、1cm弱の厚みがあるという豪華なものだ(大冊ではない内容見本でも40頁ほどあった)。
これだけでも力の入れようが尋常ではなかったことがうかがい知れる、まさに社運をかけた大型企画だった。本書の装丁は総革・天金でかなり重厚な造本のため、片手で持つのはつらいほど重い。定価は第1~6巻が10円、第7~8巻は13円、第9巻は15円、第10巻は18円だった。明治40年の国家公務員(高等文官)の初任給はおよそ55円、大正7年はおよそ75円だから、給料の五分の一として現在に換算すれば、10巻で約40万円となる。
売れ行きの心配もさることながら、企画から10年たって原稿を書き直す必要がでてきたり、組版開始から刊行までの活字の組み置きに何年もかかるなど、先行投資がかさんでいった。それにもかかわらず、斎藤精輔の妥協を許さない至善主義の編集がたたって予定した全7巻では収まりきらない見通しとなる。その負担に対し、まだ近代的な経営体質ではなかった三省堂書店(当時は出版と書店の両方を経営)は持ちこたえられなくなり、大正元年(1912)10月に破綻してしまった。『日本百科大辞典』は第6巻で中断を余儀なくされる。
刊行の継続ができなくなると同情と激励が寄せられ、各界の出資を得るなどして大正2年5月に「日本百科大辞典完成会」が設立された。これ以降、出版事業は完成会に移り、大正8年に完成させることができた。
さて、中身を見てみると、まず目に付くのは国語辞典なみに見出しで語構成の区切りを示し、歴史的仮名遣いにはカタカナで発音を表すルビが付いていること。音引き「ー」の配列は「あ」の前にあり、『辞林』(明治40年)と同じ方式をとる。
そして、別刷りの図版がところどころに入っていることが目を引く。第1巻には64点の図版があって、平均すると20頁に1点の割合である。もちろん、小さな図版や写真は本文中でふんだんに掲載されている。
1頁の図版は41点、見開き2頁の図版は23点。本文より厚めの用紙に刷られていて、裏には印刷されていない。それぞれ15点ずつに彩色を施して、カラー化に力を入れた。「厳島経巻」や「浮世絵」には特殊な用紙と金・銀も使われている凝りようだ。
彩色のない34点のうちの1頁図版26点には、写真で構成されたものが11点あった。「厳島神社」などの建築物のほか、「電光(いなびかり)」や「エクス線(X線)」の写真も載っている。
「猫」の項目(第8巻)では初めに概説があり、次に別人による小活字の詳説があって、本文中に写真を4点載せた。解説は、時に専門的すぎるきらいがあるほどの詳しさだから、あまり一般向けとは言えない。
一方、「犬」の項目(第1巻)では写真を載せず、牛や馬と同様に別刷りの図版を挿入した。各種の犬の解説のあと、「犬に関する伝説」「犬に関する法規」が無署名で載る。さらに「隠語」についても記述があるのは、現在の百科辞典と異なる特長である。
なお、第10巻の巻頭には第2巻以後に加わった執筆の肖像写真が120人分ある。その中に金田一京助がいて、確かに第1巻のアイヌ関連の項目では執筆していなかった。
「補遺訂正」には、補いきれない部分を将来の「日本百科年鑑」刊行に譲ると予告しているが、これは実現しなかった。「索引」は496頁あって約14万語。最後に斎藤精輔が書いた「編纂の由来及変遷」が44頁にわたって載っている。
●最終項目
をんる(遠流) 「るざい」(流罪)を見よ。
●「猫」の項目
●「犬」の項目