日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第8回 「ツンバブ」について

筆者:
2012年5月13日

高評価の状態と関わらないという点で「ツンデレ」と似ているのは、「ツンバブ」とでも言えばいいのか、2人きりになると『幼児』になってバブバブ甘えてくるタイプである。たとえば次の(1)の男たちは、『普通の大人』と『幼児』の間を行ったり来たりしている「ツンバブ」である。

(1)  私を含め私の友人達は,ほぼ彼女または奥様に赤ちゃん言葉を使った経験があります。想像するのもおぞましいですが。。。(中略)ちなみに私も友人達も,女性に「赤ちゃん言葉,使う?」と聞かれたら「使うわけねーじゃん!ばっかじゃねーの」と答えます。笑

[//q.sugoren.com/13494、最終確認日: 2012年4月22日.]

つまり『普通の大人』(ツン)としては、「自分は『幼児』(バブ)になることがある」と認めてみせることなど、到底できないというわけだ。だからこそ男たちは、そんなことが気取られぬよう、『普通の大人』(ツン)時には、『幼児』(バブ)らしさは微塵も感じさせない。顔を赤らめつっかえてしまうような「ツンデレ」とは、ここは大きく異なるところである。

しかしながら、愛しい人の前で『幼児』(バブ)になれば、「あー、おちごと、たいへんだったでちゅ。『ふちゅーのおとな』は、ちゅかれるでちゅ」などと「自分は『普通の大人』(ツン)になることがある」と認めることは何でもない。

このことからすれば、自身の全て(つまり『普通の大人』(ツン)と『幼児(バブ)』の両方)を受け入れられる『幼児』(バブ)こそ男たちの正体であって、『幼児』(バブ)がソトではよそゆきの『普通の大人』(ツン)を演じ、ごく親しい人の前でだけ正体の『幼児』(バブ)をさらけ出しているのだという、前回述べた「舞台裏」にも似た構図が浮かび上がってくる。

いやいや、もちろんこれは愛し合う2人の間での、ちょっとした「幼児プレイ」、つまり『幼児』(バブ)ごっこに過ぎないのだ。興醒めを承知で言えば、「『幼児』(バブ)が状況に応じて『普通の大人』(ツン)を演じたり『幼児』(バブ)に戻ったりする」というプレイを冷静に管理実行しているのは実は『普通の大人』(ツン)なのである。だから、男たちの素性に『幼児』(バブ)を認める必要は全くないのだ――と、そう単純に片付けてしまえればいいのだが、どうだろうか。前回取り上げた『宴のあと』のかづ同様、男たちも「本当のところ自分の冷静さについては」「あまり大した自信を持ってはいな」いということが、無いと言えるだろうか。演じているつもりの『幼児』(バブ)が、実はそう「演じている」わけでもなかったりする瞬間が、無いと言えるだろうか。三島由紀夫なら「彼はベビー服のほうが似合うのだった!」と書くかもしれない。あーおそろしい。

いま「男たち」と書いたが、男もすなる赤ちゃんことばを、女だってしゃべる人はしゃべるのかもしれない。少し似た例に過ぎないが、たとえば次の(2)を見られたい。ここでは新婚夫婦のあま~い会話が描き出されている。

(2) 

同じ頃、下北沢あたりの南西向き2DKにいそいそと新婚所帯道具を運びこみ、

「ああ、くたびれたん。ちょっとひと休みしょうか、トモコしやわせよ、よしおは?」

「うん、よしおしやわせ。トモコは?」

なんていっている「約二名」というものがいるわけです。

そしてこの「約二名」もネスカフェのフタくるくるまわして、

「トモコ、ネスカフェだいすきよ、よしおは?」

「よしお、ネスカフェだいすきよ、トモコは?」

「トモコもネスカフェだいすきよ、よしおは?」

「よしおもネスカフェだいすきよ、トモコは?」

なんていうこといつまでも言いつつ、窓の外の夕焼け雲みつめてブチュッなんていう態度をとったりしているわけである。

[椎名誠『気分はダボダボソース』1980.]

ここに取り上げた会話が作家・椎名氏の空想による全くの絵空事ではなく、現実の日本語社会の何がしかを反映しているとしたら、日本の『赤ちゃん』人口は案外多いかもしれない。だが、詳しいことは調べてみないとわからない。「ツンデレ」がコンピュータゲームやマンガに頻出するのに対して、「ツンバブ」が言及されることは極端に少なく、その実態はほとんど謎に包まれているからである。

親たちが乳幼児に向けてしゃべることばは「IDS (Infant-Directed Speech)」と呼ばれるが、古くは「母親 (mother)」にちなんで「マザリーズ (motherese)」と呼ばれ、今でも一般にはこの名の方が知られているようだ。ここで取り上げた「ツンデレ」や「ツンバブ」の多くは(海原雄山なんかはよくわからないが)、恋人に向けてしゃべる恋人語、つまり「ラバリーズ (loverese)」である。

世界じゅうで大多数の言語が絶滅の危機に瀕してその保護や保存が急務とされており、しかも日本の財政がおそろしく逼迫しているこのご時世に、「予算を組んで、恋人語(ラバリーズ)の大規模な調査プロジェクトを立ち上げるべき」などと声を張り上げ旗を振る勇気は、私にはとても無い。が、インターネット上で「ツンデレ」の萌え談義にうち興じる世の匿名諸氏には、自らの「ツンバブ」体験が有るのか無いのか、思いあたるフシがあるのならついでに語ってほしいと思う今日この頃である。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。