下降調の「いやいや」は、「いやいや、そうじゃないんです」にしろ「いやいや、まったくまいりましたよ」にしろ何にしろ、『大人』の技である。たとえば『娘』は「ううん」とは言っても下降調の「いやいや」は言わない。「いやいや、迎えに来てくれないと泣いちゃう」などとダダをこねて甘えることはあるが、この「いやいや」は下降調ではない。これは上昇調の「いや」を2つつなげた「いやいや」、つまり冒頭の「い」をうんと低く、「や」は高く、次の「い」は少しだけ低く、最後の「や」をうんと高く発音する「いやいや」である。このように、「いやいや」という発言一つをとっても、そこにはさまざまなやり方があり、それらは話し手のキャラクタと結びついている。
もっと身体的な否定技についてもやはり同じことが言える。中崎タツヤ氏のマンガ集『問題サラリーMAN』第4巻(日本文芸社、1995)には、仮に「片手直立左右振り」とでも呼べそうな否定技が3箇所出てくる。
1箇所目は、同じマンションの住人どうしのトラブルが描かれたマンガのラストである(p.54)。「私の下着が盗まれた。犯人はおまえだ。証拠は何もないから警察には言わないし、名誉毀損になるから他人にも言いふらさない。だがおまえが盗ったと信じている」と狂信的に言いつのる女性にたまりかねた男性が、通りがかった管理人に「何とか言ってやって下さいよ」と助けを求める。年配のおとなしそうな管理人はハゲ頭から汗をにじませ必死の形相で、片手の肘から先を身体の前に立て、激しく左右に振ってみせる。「こ、こんなのにかかずらったら」と言わんばかりの拒絶ぶりである。
2箇所目もやはり盗難絡みである(p.102)。人のいい泥棒が或る家にしのび込んだところ、そこで寝ていた男がひどくうなされているので放っておけなくなり、迷ったあげく男を起こす。泥棒から事情を説明された男が沈思黙考した後、おずおずと口にするのは「オレってもしかして生涯を通じてかけがえのない親友になる人と今、出会ってるんだろーか」というケッサクな結論である。男の前に正座してかしこまっている泥棒はすかさず「もうそんな」と汗をかいて謙遜しつつ、片手の肘から先を体の前に立て、左右に振ってみせる。
そして3箇所目は、誤って水爆のボタンを押してしまった男の弁明シーンである。片手直立左右振りとともに男が汗をかいて語るのは、「違うんです ただボタンが汚れていたからきれいにしようと思って」という、こんなことで水爆がと情けなくなるような、おそろしくみみっちい動機である(p.135)。(ネタばれ、すみません。)
いずれの例でも大人が汗をかきつつ片手直立左右振りをおこなっているが、特に汗をかかなくても片手直立左右振りは基本的に『大人』の技として成立する。きらいなニンジンを「食べる?」とたずねられれば、幼稚園児は「いや」と上昇調で言ったり頭を左右に振ったりはするが、片手直立左右振りはしない。するのは、別の食べ物が口に入っていてしゃべれない『大人』、あるいは少し離れたところにいて返答を大声でしなければならない、それがはばかられるという『大人』だろう。左右に振られる部位は肘先、あるいは手首の先であることが多く、肩から先全体が振られることは(今は亡き桂枝雀氏は落語の中でたびたびされていたが)多くはない。