ここ数回、理屈っぽい話が続いた。少し「実践」に戻ってみよう。
「佐々木商店」という個人商店は、店主の佐々木庸平が元気なうちはよかったが、庸平が病死すると、未亡人のよし江が懸命に切り盛りしても、だんだんと傾いてきた。すると、取引先の野村という業者も、佐々木商店に対する振る舞いが以前とは違ってくる。山崎豊子『白い巨塔』の一節である。
夫の庸平が達者で店を繁昌(はんじょう)させていた時は、卑屈なほどの腰の低さで出入りし、よし江にも御寮人(ごりょうにん)はんとお世辞がましく呼んでいた野村が、掌(てのひら)を返したようにぞんざいな口調で奥さんと呼び、くわえ煙草(たばこ)で、すっかり品薄になった店内を見廻した。
[山崎豊子『白い巨塔』(四)1969.]
うわーっ、えげつなーい! いくら昔とは状況が違うからって、やっぱり変えちゃいけないものはあるでしょうに。商売人って、特にナニワの商売人って、やだなー──と思う人もいるかもしれない。だが、『白い巨塔』には、野村とは違った感覚を持ったナニワの商売人・大村も登場する。
大村伝助は、じろりと野村を見、
「あんたとこは、われわれに抜けがけで商品を引き上げ、一番債権が少ないはずやのに、まだその上、気忙(きぜわ)しゅうに云いはりまんのか、佐々木庸平さんの生存中には揉(も)み手(で)で出入りしてたことを思うたら、女手で今日まで頑張って来はった奥さんの話から、先に聞くぐらいの気持はおまへんのか」
窘(たしな)めるように云い、佐々木よし江の発言を促した。[山崎豊子『白い巨塔』(五)1969.]
そうだそうだ。大村さん、もっと言ってやって。いい気味、いい気味。
だけど、野村って、こういうことを言われても、けろっとして、あんまりこたえないみたいなんだよなあ。
「野村はん、うちの主人の生存中は揉(も)み手をして、この店の敷居を跨(また)いだあんたが、よりにもよって業界の中でも一番きつい真珠湾攻撃をかけはるとは思うてまへんでした。しかも死んだ主人の控訴審の承認調べを目前にしてるわたしらに、ようこんな酷いことをしはりましたな、その上、この返品伝票に判まで捺(お)せといいはるのだすか」
「へい、そうだす、そうせんと、あとでぼったくりの、強盗のと、もめられると困りまっさかいな」
野村は平然とそう云い、ポケットから印肉を出して、よし江の前に置いた。[山崎豊子『白い巨塔』(四)1969.]
野村って、なんで「平然」としてるのかなあ。(つづく)