タイプライターに魅せられた男たち・第11回

フランク・エドワード・マッガリン(1)

筆者:
2011年11月3日
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タッチタイピングの祖、マッガリン(Frank Edward McGurrin)は、1861年4月2日、ミシガン州グランドラピッズに生まれました。10代でグラハム式速記を学んだマッガリンは、その後コービット(Daniel E. Corbitt)が経営する地元の法律事務所に勤め、1878年にコービットが手に入れた中古の「Remington Type-Writer No.1」で、タイプライターに出会ったと述懐しています。

ボスのコービットと私は、タイプライターの練習を同時に始めて、それから数ヶ月間は互いにライバルだった。結局、私の方が上達が早くて、ボスは私を負かすのをあきらめてしまったんだが。ところが、ある日、ボスがオフィスに来て話すには、ウェルチ(Henry F. Welch)の事務所にいる女の子は、ウェルチが文章を読み上げている間も窓の外を眺めていて、それでいてタイプライターをちゃんと打てる、というんだ。しかも、読み上げのスピードがかなり速くても平気らしい。

そこで私も、キーボードを見ずに打ってみることにしたんだ。その女の子に出来るのなら、私にも出来ないはずはない。でも、キーボードを見ないようにするには、それまでのやり方、つまり指を2~3本しか使わないやり方ではダメで、全部の指を使う必要があることに気づいた。1878年の終わりには、私は全部の指を使うやり方で、キーボードを見ずに毎分90ワードは打てるようになっていた。それから2年ほどして、ウェルチの事務所にいる女の子に初めて会ったのだけど、驚いたことにその女の子は、キーボードを見ずにタイプライターを打ったことはないし、そのやり方をトライしたことすらなかったんだ。

―『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff, Seamans & Benedict, 1900年)

ちょっと出来すぎた話だという気もしないわけではありませんが、マッガリンが1881年までにタッチタイピングを完成していたのは事実のようです。というのも、1881年9月1~2日にシカゴで開催された速記者国際会議で、副会長のローズ(Theodore Cuyler Rose)が以下の報告をおこなっているからです。

先週、グランドラピッズのウォルシュ&フォード法律事務所で見たのだが、若い速記者が、毎分97ワードものスピードでタイプライターを打っていた。しかも、その速記者はキーボードを全く見ずに、目線は元原稿だけを追っていたのだ。私は時計を持っていたので計ってみたのだが、確かに毎分97ワードだった。

この頃マッガリンは、愛用機を「Remington Type-Writer No.2」に変え、複数の法律事務所と巡回裁判所で速記者を務めていました。その上でマッガリンは、公職の速記官としての就職口を探していたのです。

(フランク・エドワード・マッガリン(2)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。