「発話キャラクタを論じるのに、「品」「格」「性」「年」という4つの観点だけでは足りないのでは?」という疑問は、これまで(第73回・第74回・第75回)とはまた違った意味合いで発せられることがあるかもしれない。
それは、「まろは~でおじゃる」としゃべる『平安貴族』キャラや「ワカリマセーン」としゃべる『欧米人』キャラ、「おら、わがんね」としゃべる『田舎者』キャラ、「弁護士がニャ、財産をニャ、…」としゃべる『ネコ』キャラ、「ウソだぴょーん」などとしゃべる『ぴょーん人』キャラなどは、「品」「格」「性」「年」のどれの値をどう指定したところで、出てこないのではないかという疑問である。たとえば、『平安貴族』と『ネコ』の違いが「品」「格」「性」「年」の違いとは思えない、両者の違いを語るには「品」「格」「性」「年」以前に、そもそも「生物としての種」のような観点が必要ではないのかという疑問である。
まったくその通りである。いままで断るひまがなかったが、これを機会に言わせてもらおう。「品」「格」「性」「年」という4つの観点では、発話キャラクタのうち、これまで述べてきた以上にかぎられた発話キャラクタしかとらえられない。『平安貴族』『欧米人』『田舎者』『ネコ』『ぴょーん人』などはすべてとらえられませんごめんなさい。
それなら「品」「格」「性」「年」という観点を持ち出したのはなぜかというと、「発話キャラクタ」は2つのタイプに区別することが可能であり、またその区別は必要だと思うからである。『平安貴族』『欧米人』『田舎者』『ネコ』『ぴょーん人』などは、このうち1つのタイプに属する。そして「品」「格」「性」「年」という4つの観点は、もう1つのタイプをとらえるためのものである。
これら2つの発話キャラクタのタイプを分けることが可能であり、必要だというのは、これらは「発動のされ方」「あり方」「しゃべることば」が違っているからである。まず「発動のされ方」について、具体例から述べよう。
たとえば、電話で友人に「やれやれ、これから長い会議の司会でおじゃるよ」と、ふざけて『平安貴族』キャラでこぼしていた人が、そのまま会議場でも「では皆さん、会議を始めるでおじゃる」などと『平安貴族』キャラで通すとはふつう考えられない。ふつうは「えー、ではそろそろ会議を、おー始めさせていただきます、スー」のように、「本来」の発話キャラクタ(とここでは便宜上言っておく)を発動させてしゃべるだろう。
つまり私たちが発話キャラクタを発動させる実態を考えてみると、そこには「本来」的な発動と、そうでない「臨時」的な発動がある。
たとえば、或る若者は、「本来」の『若者』っぽい発話キャラクタを発動させてしゃべりながら、時に遊びの文脈などで「臨時」的に、「まじめじゃからのぅ」のように『老人』っぽくしゃべったり、「明日も会議でおじゃるよ」のように『平安貴族』っぽくしゃべったりするかもしれない。このうち、『老人』っぽいしゃべり方とは、別人(たとえば或る老人)にとっては「本来」的なものかもしれない。ところが、『平安貴族』っぽい発話キャラクタの発動を「本来」的な発動とする人はいない。『平安貴族』だけでなく、『欧米人』『田舎者』『ネコ』『ぴょーん人』といった発話キャラクタは、「臨時」的に発動されることしかなく、ずっとそれで通されはしない。(つづく)