発話キャラクタを「品」「格」「性」「年」という4つの観点から述べてきたことに対して(第57回~第72回)、読者が真っ先にいだきそうな「観点が4つでは足りないのでは?」という疑問を取り上げ、脱線もしながら詳しく答えてきた(第73回~第82回)。次に取り上げるのは、これとは逆の疑問、つまり「観点が4つもあるのは多すぎるのでは?」というものである。まず、この疑問の趣旨を説明しておこう。
たとえば、「げっへへ、これでよぉ、罪もない市民をよぉ、殺せるってぇ寸法だぜ」などとしゃべるのは『下品で格の低い年輩の男』である(第73回)。この発話キャラクタは「品は『下品』」「格は低い(『格上』か『ごまめ』)」「性は『男』」「年は『年輩』」という具合に、4つの観点「品」「格」「性」「年」においてそれなりに具体的な値(それぞれ『下品』、『格上』か『ごまめ』、『男』、『年輩』)が指定されてできているから、たしかに「話し手のキャラクタを述べるには4つの観点「品」「格」「性」「年」が必要だ」という気がしないでもない。
しかしそれなら、たとえばイントネーションを急上昇させて言う間投助詞「よ」の発話キャラクタはどうなのだ? 「弁護士がよ、財産をよ、…」を発音するのに、文節「弁護士がよ」の末尾「よ」でイントネーションを急上昇させ、続く分節「財産をよ」の末尾「よ」でイントネーションをまた急上昇させて発音するのは『女』だというけれども(第67回)、この『女』とは何なのだ。若い『女』なのか、そうでないのか。「品」や「格」はどうなのか。もしもこの『女』の「品」「格」「年」が「いろいろあるので特定できない」のなら、この場合は話し手のキャラクタを述べるのに観点は4つも要らないのではないか、というのが、「観点が4つもあるのは多すぎでは?」という疑問の趣旨である。
別の例に則して言えば、この疑問は次のようになる。たとえば「弁護士がよぉ、財産をよぉ、…」のように、文節の末尾で間投助詞「よ」のイントネーションをまずポンと高くし(「よ」)、次いで下降させてしゃべる(「ぉ」)、つまり私が「戻し付きの末尾上げ」と呼ぶイントネーションで間投助詞「よ」をしゃべるのは、『下品』な『男』である(第67回・第72回)。この『下品』な『男』の「年」は『若者』とはかぎらない(第72回)。ならば「年」はどうなのだ。また、「格」はどうなのだ。この場合、話し手のキャラクタは「品」「性」という2つの観点さえあれば十分で、「格」「年」という観点は不要なのではないか?
やっぱり、お天道様と旦那は何でもお見通しだぜ。その通りよ。言おう言おうと思いながらここまで来ちまったが、おれだって隠すつもりはなかったんだ。(つづく)