日本語社会 のぞきキャラくり

第83回 指定が部分的な発話キャラクタ(上)

筆者:
2010年3月28日

発話キャラクタを「品」「格」「性」「年」という4つの観点から述べてきたことに対して(第57回~第72回)、読者が真っ先にいだきそうな「観点が4つでは足りないのでは?」という疑問を取り上げ、脱線もしながら詳しく答えてきた(第73回~第82回)。次に取り上げるのは、これとは逆の疑問、つまり「観点が4つもあるのは多すぎるのでは?」というものである。まず、この疑問の趣旨を説明しておこう。

たとえば、「げっへへ、これでよぉ、罪もない市民をよぉ、殺せるってぇ寸法だぜ」などとしゃべるのは『下品で格の低い年輩の男』である(第73回)。この発話キャラクタは「品は『下品』」「格は低い(『格上』か『ごまめ』)」「性は『男』」「年は『年輩』」という具合に、4つの観点「品」「格」「性」「年」においてそれなりに具体的な値(それぞれ『下品』、『格上』か『ごまめ』、『男』、『年輩』)が指定されてできているから、たしかに「話し手のキャラクタを述べるには4つの観点「品」「格」「性」「年」が必要だ」という気がしないでもない。

しかしそれなら、たとえばイントネーションを急上昇させて言う間投助詞「よ」の発話キャラクタはどうなのだ? 「弁護士がよ、財産をよ、…」を発音するのに、文節「弁護士がよ」の末尾「よ」でイントネーションを急上昇させ、続く分節「財産をよ」の末尾「よ」でイントネーションをまた急上昇させて発音するのは『女』だというけれども(第67回)、この『女』とは何なのだ。若い『女』なのか、そうでないのか。「品」や「格」はどうなのか。もしもこの『女』の「品」「格」「年」が「いろいろあるので特定できない」のなら、この場合は話し手のキャラクタを述べるのに観点は4つも要らないのではないか、というのが、「観点が4つもあるのは多すぎでは?」という疑問の趣旨である。

別の例に則して言えば、この疑問は次のようになる。たとえば「弁護士がよぉ、財産をよぉ、…」のように、文節の末尾で間投助詞「よ」のイントネーションをまずポンと高くし(「よ」)、次いで下降させてしゃべる(「ぉ」)、つまり私が「戻し付きの末尾上げ」と呼ぶイントネーションで間投助詞「よ」をしゃべるのは、『下品』な『男』である(第67回第72回)。この『下品』な『男』の「年」は『若者』とはかぎらない(第72回)。ならば「年」はどうなのだ。また、「格」はどうなのだ。この場合、話し手のキャラクタは「品」「性」という2つの観点さえあれば十分で、「格」「年」という観点は不要なのではないか?

 

やっぱり、お天道様と旦那は何でもお見通しだぜ。その通りよ。言おう言おうと思いながらここまで来ちまったが、おれだって隠すつもりはなかったんだ。(つづく)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。