やっぱり、お天道様と旦那は何でもお見通しだぜ。その通りよ。言おう言おうと思いながらここまで来ちまったが、おれだって隠すつもりはなかったんだ。
発話キャラクタを観察しようってんで、「品」に「格」に「性」に「年」、都合4つの観点を持ち出したのはたしかにこのおれだ。だがよ、この4つの観点はいつもいつも具体的な指定が必要ってわけじゃねえ。「無指定」てぇのもあるんだ。「品」「格」「年」が無指定の『女』にしても、「格」と「年」が無指定の『下品』な『男』にしてもそうだ、つまり4つの観点のうち、指定されるのが一部の観点だけにとどまる発話キャラクタ、てぇのもあるわけさ。
これまで、「品」の『上品』『下品』、「格」の『特上』『目上』『目下』『ごまめ』、「性」の『男』『女』、「年」の『老人』『年輩』『若者』『幼児』てぇ具合に、値に過ぎねえものをわざわざ二重のカギ括弧でくくって、キャラクタみてぇに書いてきたじゃあねえか。これも無指定てぇことがあるからさ。他の観点がみんな無指定なら、1つの観点の値がそのまんま発話キャラクタになっちまう。だから値と発話キャラクタをおんなじに書いてきたのよ。
えっ、それじゃ4つの観点がぜんぶ無指定ならどうなるかって?
へっへっ、旦那もお人が悪いや。おれを試しているのかい? そのことなら、とっくに話したはずだぜ。
おれたちが思う以上にたくさんのことばが、よくよく調べてみりゃあ役割語だってこと、発見の「た」を例にとって話したじゃあないか(第28回)。あの時、おれが最後に何と言ったか、旦那覚えてるかい? 間違っていたら後でいくらでも直すことにして、とりあえず「すべてのことばは役割語だ」って考えてみようぜって、おれはそう言ったんだ。
あれからちょうど1年が経ったわけだが、おれはまだ考えを変えちゃあいねえ。いねえどころか、ますますその気になってきたぜ。
思い出してもみなよ、この1年のことを。一見ちぃとも役割語らしくねえ、どこのどいつだっておんなじように言いそうに思えてた「だ」や「です」が、本当のところどうだったか。
『男』なら「雨よ」「きれい」「大変」なんて言いやしねぇ。「だ」を付けて、「雨だよ」「きれいだ」「大変だ」と言うんだ。これは、「だ」は特に『男』と結びつく役割語の面を持ってるてぇことさ(第66回)。
「です」にしてもそうだぜ。「帰ったです」なんて、動詞に「です」をつなげてしゃべる『幼児』みてぇな奴がいるんだ。つまり「です」にも役割語の面があるてぇことさ(第70回・第71回)。
こういうことは、ぼーっとしててもわかりゃしねえ。「だ」にしろ「です」にしろ、「役割語じゃあねえか?」と疑ってかかって、はじめて見えてくるもんだ。
だからおれの答はこうだ。4つの観点がぜんぶ無指定ってことは、発話キャラクタがねえってことだ。そんなことを考えなきゃならねえ場合があるとすりゃあ、それは、或ることばが、特に誰を思わせることばでもねえ場合だ。つまり、役割語じゃねえ場合だ。そんなことは、あるかもしれねえ。だが、間違っていたら直すことにして、とりあえずは「そんなことはねえ。すべてのことばは役割語だ」って考えてみようじゃあねえか。おれはそう言ってんだよ、旦那。