ネコ、フンジャッタ!ネコ、シンジャッタ?は、素人ピアニストの定番(!?)、それに近頃はペット用の墓地やら永代供養やら、社会施設も充実しつつあるらしい。だが犬猫など放し飼いが普通で専用食も特に商品化していなかった百年ほど前に遡ると、飼い猫が死んだからといってわざわざ書状で通知するのはかなり風変わりな奇特な行為であったに違いない。たかだか「一銭五厘」程度で人間男子の命も召集されかねない時代であったのだから。
さて洋の東西でかかる奇特・超俗な御仁を代表したのは、西にホフマン、東に漱石、かたや1821年ベルリンにあって愛猫「ムル」の死亡を友人知己に手書きで通知、こなた正式の名こそなけれ「我輩は猫である」氏の会葬お断りを1908年に友人知己に書き送っている。
いずれもその飼い猫をして人語を解せしめ小説界の一主人公たらしめているのだから、まずは相応の浮世の義理を果たしたことになるのだろう。こんなことを思い出したのは、後者の一節に「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」とヤンゴトない飼い主の御身分をガールフレンド「三毛子」から一口に説明されて「我輩」が目をパチクリさせる場面があり、猫よりは額が広いと自認する我らにも直ちにはピンとこない論理で気になっていたからである。もっとも「天璋院様」なるものについては、最近NHKが大河ドラマと称する番組で大々的に国民啓蒙?につとめているので何だかわかったような気分になりかけるのだが、矢張りおかしなことには変わりがない。
ホフマンと漱石の、飼い猫死亡通知
【注】
注1 ホフマン:飼い猫死亡通知
„In der Nacht vom 29. zum 30. November d.J.
entschlief nach kurzem aber schweren Leiden, zu
einem bessern Daseyn mein geliebter Zögling,
der Kater Murr im vierten Jahr seines hoff=
nungsvollen Alters, welches irn theilnehmenden
Gönnern und Freunden ganz ergebenst anzuzeigen
nicht ermangle. Wer den verewigten Jüngling
kannte, wird meinen tiefen Schmerz gerecht finden
und ihn – durch Schweigen ehren.
Berlin d.30 novber 1821. Hoffmann
注2 漱石:飼い猫死亡通知
「辱知猫儀久々病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但し主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申候。以上
九月十四日」