クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

63 日独料理法の違い―あく―

筆者:
2009年9月7日

日本とドイツの料理の違いということになると、野菜の料理法がまず気になるところである。この点で伝えるのに困る料理用語に「あく」がある。

「灰汁」ならLauge(アルカリ液)であるが、料理でいう「あく」はこれとは違う。因みに「灰汁を抜く」にあたる動詞auslaugenは、料理では、おいしさの元であるエキスや栄養が抜けてしまう、という否定的な意味で用いるようである。

「あく」は肉類の煮物や吸い物では、微細な肉片のことで、汁を濁らせてしまう料理の大敵である。日本では、汁が沸騰する前に泡とともに表面に浮き固まってきたのを、オタマなどで丹念にすくい取る。ドイツ料理でも、いわゆるklare Suppeではこの種の小肉片をFlockeと呼んで気にし、これを除去して澄んだスープにするが、日本人のように料理の途中にちまちま除去しようとしないで、スープが出来た後でausseihen(漉す)ようである。

問題なのは、野菜の「あく」であるが、これにぴたりとあたる概念はドイツ語にないようである。どうやら、気にならないことはないが、我慢できる範囲の苦み、くらいに認識しているようだ。ホウレンソウのクリームの作り方を見ると、苦みが強くならない程度で、ホウレンソウのゆで汁で最後に風味付けをする(auslöschen)、なんてことが書いてあるから、あのホウレンソウのえぐみでさえ風味のうちなのだろう。それは間違っていないが。

だから、うま味だとか風味だとか、日本語で言えば今度は「あく」対して「出汁」という概念すらも、何とか通じるかもしれない。上のホウレンソウのゆで汁ではないが、ゆでたり蒸したりして野菜から出たWasserをうまく利用することが、ドイツ料理でも重要であるようだから。

しかし(こだわるようだが)ホウレンソウのおひたしは、以前にドイツ人に料理として認めてもらえなかった覚えがある。あんなクリームよりはうまい食べ方があることを見せたかったのだが、まだ材料の段階にしか見えなかったようなのだ。確かにあの時は鰹節もなかったし、半生のホウレンソウに醤油をかけただけだから、料理には見えなくて当然だったかもしれない。生野菜のサラダをふんだんに食べるようになったから、今のドイツでは違う反応があるだろうか。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 石井 正人 ( いしい・まさと)

千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)