タイプライターに魅せられた男たち・第119回

ジェームズ・デンスモア(12)

筆者:
2014年2月20日

1871年10月、デンスモアはセントルイスにいました。ウェラーを再び頼って、セントルイス・フェアに、新たなタイプライターを出品展示したのです。前年より反響もあって、地元の新聞に取り上げられたりもしました。1871年10月12日の『Morning Republican』紙を、拾い読みしてみましょう。

セントルイス・フェアの珍しい品々の中に、「The American Type Writer」と名づけられた風変わりな機械があった。この機械は、活字による謄写を作成するものであり、オペレーターがオルガンあるいはピアノに似たキーボードを叩くだけで、所定の効果を得られる。発明者によれば、この機械は、いかなる種類の高速な書き取りにも使用可能で、特に、商用の通信文、聖職者、写真家、作家、編集者、法律家、そして多くの文章を書く人々全てに有用だという。この風変りな機械で書かれた見本紙は、一日中、物好きな人々へと配り続けられ、大博覧会の思い出として各家庭へ持ち帰られた。

6日間に渡るセントルイス・フェアの間じゅう、デンスモアはタイプライターを叩き続けたようですが、それでも商談はうまくいかず、タイプライターを製造してくれる会社は見つかりませんでした。

コリーに戻ったデンスモアは、ヨストが新たに設立したアクメ・モーワー&リーパー社の特許紛争を、解決すべく奔走することになりました。ヨストは元々、コリーのクライマックス・モーワー&リーパー社に技術供与していたのですが、新たにヨスト自身がアクメ・モーワー&リーパー社を設立したため、特許関係が複雑になってしまっていました。デンスモアは、ヨストの特許を、すでにアクメ・モーワー&リーパー社に譲渡手続していましたが、それらの特許が成立しないうちに提訴がおこなわれ、クライマックス・モーワー&リーパー社との間で紛争になってしまったのです。しかも、クライマックス・モーワー&リーパー社はペンシルバニア州の会社でしたが、ややこしいことに、アクメ・モーワー&リーパー社はニューヨーク州の会社として設立されていました。この結果、双方の特許に関して、裁判所の管轄をめぐり、いきなり対立するという泥沼の争いとなりました。さらには、これらの特許訴訟に加え、ヨストに対する偽証罪まで提訴され、代理人のデンスモアは、コリーとニューヨークを何往復もする羽目になったのです。

ただ、デンスモアは、これらの裁判に提出する書類は、タイプライターを使わず、全て手書きでした。特許申請書やそれに付帯する書類も、全て手書きでした。デンスモア自身にとっても、大文字しか打てない「The American Type Writer」は、まだまだ、現実のビジネスに使えるようなものではなかったのです。

ジェームズ・デンスモア(13)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。