場面:闘鶏(とうけい。鶏合(とりあわせ)とも)
場所:ある貴族邸の南面と南庭
時節:春
建物:反渡殿(そりわたどの。東渡殿) 寝殿 妻戸(つまど) ・高欄 簀子 畳 二枚格子の上部 柱 御階 檜皮葺 階隠(はしがくし) ・廂の御簾 几帳 廂(南廂) 畳 板敷 釘隠 下長押 母屋の御簾
東渡殿 前回は東の対まで見ましたので、今回は東渡殿を通って寝殿に向かいます。
渡殿は、建物と建物を繋ぐ屋根付きの渡り廊下を言います。これには幾つかの種類がありました。屋根と高欄だけで吹き放ちになるのが透渡殿(すきわたどの)、反橋(そりはし)状にしたのは透渡殿の一種の反渡殿、壁があるのは壁渡殿、また、泉が湧いていれば泉渡殿などとされます。壁渡殿の場合は、内部に侍女たちの局(つぼね。部屋)などが置かれます。紫式部も藤原道長の土御門邸(つちみかどてい)の壁渡殿に局がありました。
寝殿に付く渡殿は、側面側の南北にそれぞれ二条ずつ設けられ、北渡殿は壁渡殿、南渡殿は透渡殿になるとされます。しかし、一条だけで、南渡殿も壁渡殿であったりしました。
それでは、闘鶏の家の渡殿はどうでしょうか。東渡殿は、反橋状になっていますので、反渡殿ですね。下には遣水が流されています。遣水については次回に扱います。また、同じく次回に扱います寝殿西側の渡殿は、壁のない透渡殿になっています。
寝殿の外部―妻戸・簀子・格子 さらにこの渡殿を渡って寝殿の東側に赴きましょう。そこに見える外側に開いた扉が、寝殿の出入口となる妻戸です。寝殿の妻戸は、東西の側面に二か所ずつ作られましたので、この北側にもあることになります。
妻戸の前は高欄の付く簀子で、寝殿四周に巡らされます。南側に回りましょう。南の簀子には畳が二枚置かれて見物客が[ア][イ]二人座っています。簀子の上部の軒先に釣り下げられているのは何でしょうか。これは、二枚格子の上部になります。格子は蔀(しとみ)とも言います。下部は見物に邪魔なので取り払われています。寝殿の外周は、妻戸以外すべて格子でした。
格子は柱間に嵌められますので、その柱をよく見てください。柱に沿ってその両側に添え木がありますね。柱は丸柱ですので、このままでは格子をうまく嵌められません。丸柱に固定するために、この添え木が付けられるのです。
御階と屋根 簀子の中央に行きましょう。簀子から高欄の付いた五級の御階(みはし)が下されています。この御階の上部を見てください。檜皮葺の屋根が、張り出していますね。これを階隠と呼びます。階隠は寝殿だけにあるもので、対の屋にはありません。
御簾と几帳 さらに簀子を西側に進みましょう。二枚格子は東側と同じですが、室内の廂の御簾が下されて、几帳が添えられています。東側の廂の御簾は、巻き上げられていました。几帳の裾は、簀子まで押し出されていますね。これが当時の作法でした。
この几帳もよく見てください。三人の女性が外を覗いていますが、どのように覗いているのでしょう。几帳は五尺の高さで、五枚の帷(かたびら)を縫い合わせて垂らします。それぞれの中央部だけは「几帳の綻び」と言って、縫い合わせません。ですから、そこから覗き見ができるのです。女性たちは、イケメンがいないかと男性たちも見ているのです。
寝殿の室内―廂 それでは、東の妻戸から室内に入りましょう。入った所は廂(南廂)です。寝殿や対の屋は、中央部を母屋と言い、その周囲に、廂と呼ぶ細長い部屋を付加しました。四周に付きますので、南廂・北廂などと方角で区別します。妻戸を入った廂の間(ま)は、特に「隅の間」「妻戸の間」などと言うことがあります。この間は、四隅にあることになりますね。南廂にも畳が敷き詰められています。
この隅の間の北側、すなわち東廂の方を見てください。画面では、巻き上げられた母屋の御簾の下に、ほんのわずかですが、板敷が見えます。寝殿造は、基本的に総板敷で、必要に応じて畳や、座布団になる円座(わろうだ・えんざ)や茵(しとね)を敷いたのです。
次に、南廂と簀子の境に注意してください。釘隠の見える横に渡した角材が下長押になり、この分だけ段差がありますね。さらに、描かれてはいませんが、廂と母屋の境にも、この段差があると判断できます。東の対で確認しましたように、簀子・廂・母屋には三段の段差があるのです。そして、座る人は、この段差によって身分の違いが示されました。簀子に座る[ア][イ]の二人は、主人より低い身分ということになります。
南廂の中央は「中の間」「階隠の間」と言います。この西側にかけては、どうなっているのでしょう。女性たちの覗き見は、[ウ][エ][オ]の男性たちに分かってしまうのでしょうか。画面では、階隠の間とその西側との境がどうなっているのか、よく分かりません。しかし、男性の視線をさえぎるために、ここに屏風が置かれていたと思われます。女性たちは、物影に隠れて覗き見しているのです。細長い廂には、要所に屏風や障子を置いて、空間を区画していたのです。
主人はどの人か さて、南廂の[ウ][エ][オ]の三人の男性のうち、この家の主人は、どの人でしょうか。階隠の間は、基本的に主人の座になります。[エ]中央の人は口髭があり、一番年配のようですので、主人と見るのが妥当でしょう。しかし、[ウ]右側の人を主人と見ることもできます。その場合は、父親などを招待し、階隠の間を譲っていることになるでしょう。[オ]左側の人は、若く描かれていて、主人の子なのかもしれません。描かれた人物のことを考えるのも、絵巻を見る楽しみでした。
母屋と塗籠 絵巻には、母屋の御簾しか描かれていませんが、母屋について触れておきましょう。ここには寝所となる帳台(ちょうだい)が置かれました。また寝殿造には備え付けの家具がありませんでしたので、その用をなす棚(二階棚や厨子棚)や櫃(ひつ)・箱などが配置され、生活用品が収納されました。廂にもこれらの収納具は置かれます。
母屋の東西どちらかに塗籠(ぬりごめ)と呼ぶ、文字通り壁で塗り籠められた閉鎖的な部屋が作られることがありました。東西の対の屋の場合は、北側に設けます。塗籠は多く物置として使用したようです。闘鶏の家の場合は、塗籠の存在は不明です。
寝殿の大きさ 最後に、建物の大きさについて触れましょう。今日では平米(以前は建坪)で表しますが、寝殿造はどうだったでしょうか。
寝殿造では、寝殿母屋の大きさで示されたのです。母屋の梁行(はりゆき。棟と直角の方向)は二間(にけん。柱と柱のあいだの数が二つ)でどの邸宅も同じでしたが、桁行(けたゆき。棟方向)が邸宅によって相違し、三間・五間・七間と様々でした。一間は、約3メートル近辺です。母屋の桁行が五間の場合、この大きさは、「五間四面(ごけんしめん)の寝殿」というように「間面表記(けんめんひょうき)」で表しました。梁間は二間が基本なので特に言いません。母屋には一間幅の廂が四周に付きますので、南正面から見れば七間に見えます。約21メートルの長さです。
それでは闘鶏の家はどうでしょうか。寝殿正面は柱間が五つですね。廂の分を除くと母屋自体の桁行は三間となります。この家の寝殿の大きさは、「三間四面」となるのです。
今回は、東渡殿と寝殿を見ました。残された西側は、次回見ることにしましょう。