場面:臨時客(りんじきゃく)
場所:東三条邸(ひがしさんじょうてい)の寝殿造
時節:正月二日
建物:①侍廊(さぶらいろう) ②・棟瓦 ③築地(ついじ・ついひじ) ④台盤(だいばん) ⑤畳 ⑥・⑦・⑫・⑲遣戸(やりど) ⑧・下長押(しもなげし) ⑨・・簀子 ⑩襖障子 ⑪塀 ⑬幔(まん) ⑭東の対 ⑮二棟廊(ふたむねろう) ⑯格子 ⑰御簾 ⑱・妻戸 ⑳中門廊(東中門北廊) ・高欄 東中門 南階(みなみのはし) 西階 南広廂(みなみひろびさし) 南廂
はじめに 前回まで三回にわたり、平安貴族邸宅の「寝殿造」を読み解いてきました。さらに違う場面を取り上げて、寝殿造に対する理解を深めていきましょう。建築用語については前回までをご参照ください。今回取り上げますのは、『年中行事絵巻』「臨時客」の場面で、院政期に藤原氏の重要な邸宅となった東三条邸を描いていると言われています。この絵には「臨時客」との付箋がありますが、ここを「大饗(大臣大饗。だいじんだいきょう)」とする説があります。この理解は絵柄からも間違いであり、「臨時客」として扱っていきます。
なお、大臣大饗も臨時客も年頭の饗宴です。ともに、参会者の拝礼・宴・賜禄(しろく。参会のお礼を与える)からなりますが、人々の構成と場が違います。大臣大饗は、大臣が招請した太政官の官人を饗応するもので、私邸の寝殿が場になります。臨時客は、摂政・関白が年賀に訪れた公卿・殿上人などを臨時に饗応するもので、場は対の屋になります。11世紀前半には、大饗は行われなくなり、臨時客のみが定着化しています。
侍廊 それでは絵巻を見ていきましょう。画面右は、東正門を入った北側に位置する①侍廊です。②棟瓦が載る檜皮葺の屋根の向こう側には、上土(あげつち)の③築地が見えます。侍廊には、家司(家の職員)たちが邸内の事務を行う侍所が置かれました。④台盤(大きな机)があるのは、その為です。この両側には⑤畳が敷かれています。今日の臨時客のために、家司たちはあれこれと相談しているのだと思われます。
侍廊の構造を詳しく見てみましょう。右端には⑥遣戸(引き戸)が見えます。この奥は宿直用の部屋になりますので、内部にも⑦遣戸があります。この部屋以外の南面には二枚格子が嵌められるはずですが、絵巻では釣り上げられた上格子が描かれていません。下格子は、取りはずしています。
⑧下長押が見え、その手前は⑨簀子になります。台盤の置かれた部屋と左端の部屋(用途不明)のあいだには、⑩襖障子があります。なお、絵巻の侍廊は七間(ななけん。柱と柱のあいだの数が七つ)になっていますが、実際の東三条邸では六間でした。絵巻は事実そのままを描くものではなかったことが理解されます。
侍廊の手前には⑪塀があり、東側に回っています。その東側にも⑫遣戸があり、男性が入ろうとしています。塀の手前には、間隔を空けてこの日のために⑬幔(幕)が引かれています。幔の手前には、参会者の供人たちでしょうか、大勢たむろしています。
東二棟廊 次に侍廊の北側(画面右上部)を見ましょう。ここは、⑭東の対から張り出すように作られた⑮二棟廊[注1]と呼ばれる建物です。画面では見えなくなっていますが、壷庭によって侍廊と隔てられています。前回まで見ました「闘鶏の家」には東二棟廊が描かれていませんでした。
この絵では、⑯格子が上げられて⑰御簾が下がった三間と⑱妻戸が見えます。この奥も御簾です。妻戸の東側にも⑲遣戸が見え、この感じですと、外部との出入口のようですが、この右側に侍廊と結ぶ渡殿があったとする説もあります。二棟廊は、普段、対の屋や寝殿に上げるまでもない客との応接に使用されたようです。
東中門廊 続いて、⑳中門廊を見ましょう。詳しく言えば、東中門北廊でしたね(第13回参照)。この絵では、内側の構造がよく分かります。築地側には壁がありますが、庭側は吹き放ちで、高欄の付いた簀子があります。東中門北廊は⑭東の対への通路として使用されますが、儀式や行事によっては、身分の低い者たちの座となることがありました。臨時客では座は設けなかったようです。棟瓦のある檜皮葺の屋根が①侍廊と⑭東の対に続いています。中門廊の南側に一段高い屋根がある所は中門で、南庭への出入り口になります。
臨時客の通路 さて、臨時客は、摂政・関白が、訪れた公卿や殿上人に新年の饗応をする行事でしたが、参会者はどのように会場となる東の対まで赴くのでしょうか。画面には⑳中門廊を下襲(したがさね)と言う長い裾を引いた束帯姿の官人[ア]が通っていますので、ここを通路としたことはすぐに分かりますね。しかし、大臣クラスは、南庭から直接東の対に上がれたのです。参会した者は、ひとまず中門から南庭に入り、東の対の南に流れる遣水の手前で列をなして拝礼するまでは皆同じでした。しかし、大臣は遣水にかかる橋を渡って東の対に上がり、大納言以下は、中門北廊の南端にある沓脱(くつぬぎ)から上がりました。画面の中門廊を通る官人は、大納言以下となりましょう。
東の対 やっと東の対まで来ました。画面では、高欄の付いた簀子から三級(三段)の階(はし。階段)が南と西に下りているのが見えます。臨時客では、主人が南階から下りて参会者に拝礼し、大臣クラスはここから東の対に上がったのです。西階を上がった北側には、妻戸が見えます。
簀子から下長押を一段上がった所が吹き放ちの南広廂で、さらに一段上がって室内の南廂となり、その奥も一段上がって母屋となります。母屋と南廂の間は、画面でははっきりしませんが、御簾が下ろされているのでしょう。母屋は使用されていません。
参会者の序列 参会者は南廂と南広廂に座っていますが、主人もここにいます。どの人になるでしょうか。一人だけお誕生席のような位置に座っている人がいますね。南廂の西側にいる人[イ]です。これがこの家の主人である摂政か関白になります。それでは、南廂と南広廂はどのように使い分けられているでしょうか。前回・前々回に触れましたように、段差は身分の違いを視覚化するものでした。ですから、南廂には公卿、南広廂には殿上人が座っていることになります。いずれも、先に触れましたように、下襲を付けた正装、束帯姿ですね。
絵巻の時間 宴はすでに始まっているようですが、酒食などは描かれていません。いったい時間はどのあたりでしょうか。
南庭にいる弓箭(きゅうせん。弓と矢)を帯びた官人に注目してください。この人たちは衛府の武官で、摂政・関白の随身(ずいじん)です。その手には、松明(たいまつ)が持たれていますね。時間はすでに夜になっているのです。画面右の①侍廊あたりの光景は昼間(実際は午後3~5時くらい)のようですが、⑳中門廊を境にして、左側は夜の時間にしているように思われます。絵巻は違った時間を同一場面で示唆するのが特徴でした。宴は、進行していたのです。線描画面でははっきりしませんが、南廂の奥に座る公卿は、五人とも上衣となる袍(ほう)を肩脱ぎしています。これは宴が進行してから、くつろぐ様子を見せるポーズです。年頭の臨時客の行事は宴たけなわで、夜になっていたのです。
注
- 梁行(はりゆき。棟と直角の方向)が二間で、各一間にそれぞれ棟木を通して屋根裏を見せ、二棟があるようになるので、こう呼ばれる。