シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―

第二十六回:スマートフォンの普及とハンティ語

筆者:
2019年8月9日

集落のタクサフォン(2016年9月ティルティン)

現在でもシベリアでは、通信環境が良くないことは珍しくありません。とりわけ都市や資源開発地域から遠く離れた場所では、インターネットはおろか、携帯電話も使用できません。筆者が滞在したハンティ等の小さな集落では、タクサフォン(Таксофон)と呼ばれる公衆電話を使用するか、それがない場合は、何十キロメートルも離れた周辺の村落や地下資源開発地に行き、電話をかけていました。また、さらに森の奥深くで移動生活をするトナカイ牧夫たちは、タクサフォンもないので、緊急時にだけ衛星電話を使用しています。

かわって、1000人くらいの人口があり、学校や病院などのある村落部では、たいてい携帯電話やインターネットを使用できるため、若者も年配の方々も携帯電話かスマートフォンを持ち、都市部の住民と同じように利用しています。私が昨年の夏にお世話になったオヴゴルト村のダリアさん(仮名)もスマートフォンを使用していました。ダリアさんは、毎日のように都市部に暮らす娘たちと電話していました。また、娘の一人が黒海の保養地に旅行に行った際には、旅行の様子を共有しようと、頻繁に家族みんなでテレビ電話で話していました。

こういったときには、彼女らはロシア語かハンティ語で話します。しかし、テキストを入力する際にはロシア語を使うことが多くなるようです。ダリアさんもSNSで娘たちや夫、親戚たちとのメッセージを頻繁にやりとりしていますが、地名等以外はほとんどロシア語を使っていました。なぜかというと、テキストではハンティ語で表現できないことがあるからです。ハンティ語はキリル文字に転写可能ですが、ロシア語にないアルファベットも必要なため、入力するのに特殊文字を検索せねばなりません。

料理動画を参考にして、ダリアさんが作った米と夏野菜のびん詰 (2018年8月オヴゴルト)

加えて、検索サイトで何か調べる際にも、ロシア語で入力します。音声検索もよく使用していますが、ハンティ語で何か話しても認識されないためロシア語で行います。ダリアさんはインターネットで料理動画を見て、それを真似ていろいろな料理を試すのが好きです。昨年の夏には、パプリカ等の夏野菜やたまねぎ等を船上商店(第18回参照)で買い込み、ラタトゥイユに米を加えたような瓶詰やスイカのジャム等の自家製保存食を休日丸一日かけて大量に楽しそうに作っていました。

スマートフォンやインターネットの普及は、情報源がテレビ・ラジオ・新聞だけであったころと比べて、確実に得られる情報の種類と量を増やしています。それだけでなく、ハンティ自身が自分たちの文化を再評価して、SNSや動画投稿サイトで発信することが個人的にも組織的にも増えてきました。一方で、テキスト入力ではどうしても、よりスマートフォンを利用しやすいロシア語を使うことが増えます。それに、オヴゴルト村のある年配の女性が、「現在では子育てについてもインターネットで調べるから、若者はハンティのやり方を何も知らない」と言うように、文化や言語の継承に影響があるのではないかと心配されてもいます。この先、通信技術の発展により彼らの生活がどういった方向へ向かうのか、たいへん興味深く思っています。

ハンティ語の新聞。ロシア語の単語も多く見られる
(2016年3月5日セーヴェルナヤ・パノラマ発行)

ひとことハンティ語

単語:Хӑнты йӑсәң вeнәӆтӑӆўв!
読み方:ハンティ イアスン ヴェンシタールヴ!
意味:ハンティ語を勉強しましょう!
使い方:村の小学校やハンティの文化を紹介するウェブサイトなどでよく見かける表現です。

筆者プロフィール

大石 侑香 ( おおいし・ゆか)

国立民族学博物館・特任助教。 博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

編集部から

ロシア語とハンティ語の使い分けは対話している時だけでなく、メッセージやSNSを利用する際に、通信機器の対応する言語や、利用しやすい言語によって使い分けることがあるというのは興味深いです。インターネット普及によって言語や文化が画一化されていく、という意見もありますが、一方で自分たちの文化を再評価して発信するツールにもなるということですね。次回の更新は9月13日を予定しています。