「専門は言語学です。フィールドワークをしています」と自己紹介をすると、どこかとても不便なところへと足を運んで、誰も聞いたことがないような言語の調査をしていると思われることがままあります。これは、相手が言語学者であってもありうることです。そして、このイメージというのは、言語調査を行うフィールドワーク、フィールドワーカーの多くにあてはまるものかもしれません。
実際、私はタンザニアのザンジバルという地域で、スワヒリ語[注1]の方言を調査しています。ザンジバルはストーンタウンの歴史ある街並みやきれいなビーチで有名なところですが、私が訪れるのは、そんな魅力的なものがなく、観光客は見向きもしないような土地です。多くの日本人にとっては、不便で暮らしにくいところかもしれません。スワヒリ語というのも、メジャー言語と呼んでも差し支えないくらい、多くの人に知られた言語ですが(みなさんはそうは思わないかもしれませんが![注2])、その方言については、存在すらほとんど知られていないでしょう。
こうしたイメージに当てはまるフィールドワークというのは何か特別なものなのでしょうか。フィールドワーカーは、主に自分が母語としない言語[注3]のデータをその言語の話者から集めています。もう少し具体的な例として、私が調査で取り組んでいることを挙げましょう。
・例文を作ってその正しさを話者に判断してもらう[注4]。
・「音」を分析するために、同じ語を繰り返し発音してもらって録音する。
・話者のおしゃべりを文字で読めるテキストにして分析する。
このどれも、言語学研究の手法としては一般的なものです。例えば、文の正しさの判断は、どこか特別な辺境の地ではなく、大学のキャンパスの中で行われることがしばしばあります。音声の録音も、大学や研究機関に特別に設えられた防音室で行われうるものです。また、テキストからデータを集めるというのは、現在話者のいない「死んだ」言語の研究で一般に用いられるデータ収集方法です。
つまり、「フィールドワーカー」がやっていることは、そうではない言語学者と大差はなく、フィールドワーカーと呼ばれる人たちは、その枠に押し込められることに対して、ときとして、違和感であったり、恥ずかしさを感じています(全員ではないかもしれませんが)。
「フィールド言語学」という分野をたてる意味があるとすれば[注5]、分析の対象となるデータにたどり着くまでに、他の言語学の分野、あるいは言語学以外のフィールドワークとは異なる特別な配慮が必要となるからかもしれません。ここでいうデータとは、人間の口から発せられる言語です。
この連載では、私の目から見た、私が経験したフィールドワークについてお話をさせていただきます。それを通じて、フィールド言語学とはなんなのか、みなさんも考えてみてください。
コラム1:スワヒリ語と日本語
「サファリパーク」という名の動物園が日本国内にはいくつもありますが、この中の「サファリ」という語は、スワヒリ語で「旅」を意味するsafariに由来します。
また、私が聞いたザンジバルのおばあさんの物語の中に、chirimeniという布を指す語がでてきたことがあります。このchirimeniは日本語のちりめんに由来していると考えられますが、いわずもがな、このおばあさんは日本語を全く知りません。
スワヒリ語と聞くと、まったく未知の言語のように思ってしまうかもしれませんが、このように、思いがけないところで日本語との間につながりがあったりします。
* * *
[注]
- スワヒリ語は、東アフリカのケニア・タンザニアを中心とした地域で広く話されている。第二言語話者も含めれば、1億人近くの話者がいるとされる。
https://www.ethnologue.com/language/swh(2017年9月19日参照)。 - 例えば、日本にはスワヒリ語を専門的に学べる大学がある。また、アマゾンで「スワヒリ語」と検索すれば、日本語で読めるスワヒリ語の辞書、教科書がみつかる。世界にはおよそ6~7000の言語が存在すると言われるが、日本の大学で学べる、あるいは日本語で書かれた辞書、教科書があるのは、そのなかのごく一部にすぎない。
- 自分の母語のデータを他の話者から集めるということもあり得る。
- このような文の正しさの確認は、容認性判断と呼ばれる。
- 実際、“Linguistic Fieldwork(言語学のフィールドワーク)”とか、“Field Linguistics(フィールド言語学)”というタイトルの本が何冊も出版されている。