フィールド言語学への誘い:ザンジバル編

第10回 フィールドワーカーの仕事(その2)

筆者:
2018年8月17日

前回と今回で、言語調査(フィールドワーク)を「○○語の勉強」にみたて、フィールドワーカーの仕事が具体的にどんなものであるかを紹介しています。前回は、発音の話をしましたが、言語調査には発音だけでなく文法の調査も含まれます。このことは、ちょうど「○○語の勉強」の際、発音だけでなく文法の勉強もすることを考えればイメージしやすいかもしれません。

文法調査は、調査票[注1]にある語や文を翻訳してもらうところから始まります。例えば「木」という名詞を聞いたら、その複数形を何というかも同時に調べますが、これも立派な文法調査となります。他にも、動詞の過去形がどのような形であるかや、名詞を修飾する形容詞が名詞の前に現れるか後ろに現れるかなんていうことも調査票を用いて調べます。

こうした翻訳調査だけでなく、普段のおしゃべりからも、文法に関する新たな発見が得られることがあります。一つ例を挙げましょう。私は、調査時間以外もよく人々のおしゃべりに耳を傾けているのですが、あるとき、スワヒリ語マクンドゥチ方言の話者が以下のような表現を口にしたことに気づきました。

 

u-si-je-piga makelele
2人称-禁止-来る-打つ 騒音
「騒ぐな」

 

このなかの、u- が「あなた」、-siが「禁止」を表すことや、-piga「打つ」とmakelele「騒音」を組み合わせると「騒ぐ」という意味になること、表現全体で「騒ぐな」を意味することは、これまでの調査で得た知識から概ね理解することができます。しかしなぜこの表現に動詞の -je「来る」が現れるのでしょうか。状況をみても「来る」という動詞がここで用いられるのは不自然に思われます。気になった私は、すぐさまおしゃべりを遮り、-je「来る」があるかないかで、表現全体の意味が変わるかを、おしゃべりしていた人たちに尋ねました。すると、今騒いでいる相手に言う際は -je「来る」をつけず、これから騒ぎそうな相手に言う際は -je「来る」をつけるとのこと。このコメントから、マクンドゥチ方言では「来る」という動詞が「移動」ではなく「未来」を表すために用いられていることがうかがえます。移動を表す動詞の未来を表す形式への変化は、言語変化として起こりうるものですが[注2]、マクンドゥチ方言では、これまで報告されていませんでした。

フィールドワーカーは、フィールド滞在時、調査時間以外も、常に何かおもしろい表現はないかと耳をそばだてています。そして、最も興奮するのは、こんな風にちょっとした日常会話の中から新たな「発見」が得られるときかもしれません。

コラム6:挨拶が大好きなスワヒリ語

スワヒリ語にはお決まりの挨拶表現がたくさんあり、スワヒリ語話者は、日本人の感覚からすると必要ないのではと思われるほど、長々と挨拶をします。以下の例は、スワヒリ語マクンドゥチ方言の話者が実際に行っていた挨拶です。

A: habari za kutwa
  知らせ 日中
  「調子はどう?」

 

B: habari nzuri
  知らせ   いい
  「調子はいいよ」

 

A: salama tu
  平和 だけ
  「元気なだけ?」

 

B: salama
  平和
  「元気だ」

 

A: mu-wa=je
  あなたたち-である=どんな
  「あなたたちはどんな感じ」

 

B: ha-tu-jambo
  じゃない-わたしたち-こと
  「元気」

 

A: ha-wa-jambo wanakʰele
  じゃない-かれら-こと 子供たち
  「子供たちはどう?」

 

B: ha-wa-jambo
  じゃない-かれら-こと
  「元気だよ」

 

A: na bibi
  おばあさん
  「それとおばあさん(奥さん)も」

 

B: pya mzima
  元気
  「彼女も元気」

これ以外にuko=je「そちら(あなたのところ)の様子はどう?」、jaje「調子はどう?」なんて表現を間に挟むこともあります。

調査の初期段階で、その言語を流暢に話すことは難しいかもしれませんが、語彙や発音、文法だけでなく、こうした挨拶表現も(あれば[注3])調べて使いこなせるようになっておくと、その後の調査がスムーズにすすむようになるかもしれません。

* * *

  1. 第6回 参照。
  2. こうした語彙的な意味をもつ語から、文法機能を表す要素への変化は「文法化」と呼ばれる。我々にも馴染みのある文法化の例としては、未来を表す英語のbe going toが挙げられる。
  3. 決まった挨拶表現があるか、あるとすればどれくらいあるかは言語によって異なるようである。スワヒリ語とは反対に、まったく決まった挨拶表現をもたない言語もある。

筆者プロフィール

古本 真 ( ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。

最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

編集部から

今回は「○○語の勉強」の文法編です。おしゃべりの中から新たな発見を得るというのは、第6回での調査票を用いた調査とは趣が異なりますね。おしゃべりを理解するための言語能力や、変わった表現に気づく注意力などが必要になり難易度が高いですが、予想していなかった発見に出会うのは、まさに、教科書がない・あまり研究されていない言語を学ぶ際の醍醐味です。次回はどのようなお話が聞けるでしょうか。どうぞお楽しみに。