韓国では、漢字を廃止しようとすることによって、漢語の発音は残っても、語義が不分明となる例も生じている。韓流ドラマとして一世を風靡した「冬のソナタ」は、原題は「キョウル・ヨンガ」であった。キョウルは、冬を意味する固有語で、韓国の人ならば当然、語義は理解される。しかし、「ヨンガ」とは何かを正確に理解している人となると非常に少ないようだ。漢字で「戀(恋)歌」と記してあっても、漢字を読めなくなっている一般の人々の間では、それは飾りに過ぎないのだそうだ。
韓国では、他の曲名や「…カ(ガ)」という熟語の例から、「ヨンガ」も何となく「歌の一種なのかな」と類推はされるのだそうだ。しかし、たとえ固有名詞であっても、語義が気になって、辞書で確かめてみないものだろうか、などというのが日本の人々に見られる意見である。それは、日本では、仮に「れんか」と仮名で書かれていれば、(カタカナによる明らかな外来語と思えば、無視したり諦めたりもしようが)なまじ外来語ではなさそうだと、やけに気にかかり、その意味や、漢字表記までを知りたくなるという意識に覆われているためなのであろうか。
韓国映画の「猟奇的な彼女」は原題「엽기적인 그녀 ヨプキジョギン・クニョ」を直訳したものだった。その作者は、「ヨプキジョク」という語の意味をはっきりとは知らずに、語感から命名したのだという。英語名にある「sassy」は、生意気だというくらいの意味である。「猟奇癖」「猟奇殺人」などという(おそらく和製の)漢語のおどろおどろしい語義とおぞましいニュアンスは、この漢字列の字面に反映していたものである。しかし、漢字を失ってハングルによってのみ示された字音は、ただ単にイメージだけを浮遊させ、新たなイメージへと転化されていったのである。
さらにそれが、韓国では流行語となり、友達同士でも、変わっている、いたずらっぽい、かわいらしいなどの意味で、「猟奇的だね」と言い合うようになったのだそうだ。ハングルによって意味が変わり、それが固定化したのである。
なお、この原題をそのまま用いた日本側は、インパクトを狙ったにしても、やや安易だったという点はなかろうか。「猟奇」の語を同様に用いていた中国では、「我的野蛮女友」と、「野蛮」と変えて訳した題名で知られている。
このように、漢字は、語の本来の意味を縛ってもいる。その表記が表音文字に移った時には、意味も解き放たれて、移ろっていく。
これは、先の漢字によって意味が偏ってきた「性癖」とは逆の現象である。それらを通じて、いずれにも漢字の今なお強く作用している表意的な性質が見出されるであろう。