漢字の現在

第172回 韓国の看板と漢字

筆者:
2012年3月30日

ソウルとその近郊では、看板には、漢字使用がところどころで見つかった。ベトナムと違って、「忠永빌딩」(bil ding:ビルディング)など、韓国語自身を表記するものも散見される。固有名詞の漢字表記はしばしば見受けられるが、意味まで意識されることは日本よりも稀だそうだ。また、1つの建物の上部と1階とに、2種類のハングルの間に「美」が出てくる(写真)。整形外科の名と美容室の店名だが、音訳なのだろうか。造語で、韓国語としての意味は感じられず、とくにかわいいとも感じないそうだ。「美」はアメリカを指す字としても、韓国でもなじみ深い漢字となっている。

壁面に「美」

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【 壁面に「美」(上は整形外科の名)】

 新論 (山+見)

地下と路上(漢字は小さい字で)の看板(写真)に見た。ハングルで見たときに、もしやと思ったとおり、3字目は、漢字義に基づく韓国の国訓で峠に近い意味。地下鉄の駅は、金大中大統領時代からのものか、漢字を小さめに示すものが多いが、旧字体のみである。

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【新論 (山+見)駅】

固有名詞以外ではどうだろう。

 好

これは、通常の自然な自国語を表記したものというよりも、明らかに記号的な用法だ(写真)。

「好」1字

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【モーテルに「好」1字、何語か】

 定礎

筆字風だが、書きぶりがややぎこちなくも感じられるか(写真)。デザインに好みが現れているのかもしれない。ベトナムではこのたぐいの書風がよりたくさん散見された。なお、この2字を彫り込む習慣は、日本から入ったものだろうか。

定礎

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【定礎】

 両替優 遇(旧字体) 爲替優待

銀行で貼り紙に見かけた(写真)。

爲替優待

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【両替優遇(旧字体) 「爲替優待」は、日本人向けだろう。】

 交 通(旧字体)

駅構内においても、日本語でもフォントが韓国式になっているケースが見受けられた。次の例は、地下鉄カードの機械の画面に、日本語を選択したときに出てきたものであった(写真)。

駅では、随所に、「入口」「出口」という表示もある。この両語は、これらの意味で、和語から漢字表記を経て、韓国語では音読みされている(和製漢語といえるか)。中国語にもなっており、汎用性の高い表示だ。

ハングルと漢字、ローマ字に交じって、駅の改札口では「○」「×」という記号による表示も目立った。日本でも大阪など西日本にとくに目に付く表示と類似する記号による表現である。韓国人の児童や日本人には意味が分かりやすい。

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【交通(旧字体)カードはフォントの影響で旧字体に】

○(丸)を意味するトングラミ(第36回参照)は、動詞から名詞になったものだそうで、カメラ(のボタンか)にも使うとのこと。一方、「×」のカセには年代差があるそうで、50歳代の方は使うそうだが、40歳くらいの方によれば、「只今」(チグム いま)は「エックス」しか言わないとのことだ。テレビのクイズ番組では、○か×かに分かれて、と指示する場合には、「オー」か「エックス」に分かれてと、使っているそうだ。

温泉マークが建物の壁面に散見された(写真)。温泉での使用は、この日本発と考えられる(ドイツ起源とも)マークではなく、新しくデザインしたカラーの温泉マークを用いるようにと、法律で禁じられたのではなかったか、と思うが、どれも「モーテル」のようだったので、使用は変わらずに認められているのだろう。

温泉マーク

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【 温泉マーク。中国でも見かけた。】

 自動ドアには、ボタンに「自動」と印刷されていた。日本製のものに、ハングルを足し込んだものだろうか。最後に、看板ではないが、街中で見かけた段ボールに次の例があった。

 身土不二

筆字風で、これはハングルでは別の文が書かれていた(写真)。

韓国から来た留学生によると、今でも農産物を入れる段ボールのほか、レジ袋、包装紙などにこの語が漢字で書かれていることがしばしばあるが、これをスローガンとした運動自体があまり注目されることはなくなってきているそうだ。

身土不二

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【 段ボールに漢字。「身土不二」は仏教用語から生じた語。】

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。