集中講義のために北海道大学にうかがった。北大と略すが、実は公文書では北大は東北大を指す。東京大学が東大であるためだ。そして、こちらはやはり一つずれて「海大」となっている。北大に入るのは2度目だが、旧帝大というものは、どこもそのほかの国立大とは何かが違う。まして私立大学とはまるで違う。先日、ある質問を受けて、「教授」「助教授」「講師」「助手」という職位を表す語の歴史を調べたのだが、分かったことは、当時の帝大でこれらが採用されたことばかりで、すべて出尽くした後に、私立もやっと大学として国から認められたという事実だった。
北大では、朝から夕方まで講義を続ける。2講時(東京の2限)が終わり、昼休みになると、学生たちはお昼を食べに行くのであろう、教室を離れる。しかし、机の上にカバンや荷物を置きっぱなしにしている。席を離れている時に、これは不用心ではなかろうか。都会では手荷物の盗難が起きており、図書館でも注意を喚起する貼り紙があるほどで、考えたくないが物騒だ。あまりののどかさに、大丈夫ですか?と訪ねると「大丈夫です」と、女子がきっぱりと言い切った。札幌では、さすがに家の鍵はかけるだろうが、都内の大学で、女子学生が泣きじゃくりながら、さっき鞄をひったくられたので教科書も何もない、と告げに来たことを思い出した。
北大では、成績評価は成績報告表によって提出するのだが、5段階評価で、その「評語」は、
秀
優
良
可
が残っていた。100-90点が「秀」で、59点以下が「不可」だ。平成17年度入学生から、「秀」評価が加わったのだそうだ。今でも、「ABC」ではないということで、確かにこちらのほうが何やら重みが感じられる。事務所も「・・係」ではなく「・・掛」と表示されている。こちらは今は正式には「・・担当」に代わったという。
広大な構内には、川が流れ、学内循環バスが走る。有名なクラーク像も立っていた。そして、ジンギスカン鍋の残り物を入れるように指示する看板と、そのためのごみ箱が設置されている。キャンパス内では、一時期、ジンギスカン鍋をやることを禁止していたが、今では生協で、そのセットを売っているのだという。まさに所変われば、だ。散歩する人も多く、夜も校門は開放しているとのこと。ポプラ並木と広い空が印象に残る。お世話になった先生によると、とくに理系の学部が広い土地を占めるそうだが、とても優雅に一周などはできそうにない。
小樽市にもゆっくりと寄ってみたかったが、北海道はやはり広く、小樽駅まではとても電車で往復することができないと分かる。それでも「小樽」はしばしば見かける地名だった。「樽」の右上の部分を「ソ」ではなく、「ハ」とわざわざ作字している印刷物や看板の類も見受けられた。このいわゆる康煕字典体は、中心部に行くほど、公的な施設が集中しているためにもっとたくさん使われているのであろう。ここではビールの「樽生」も、もちろん見受けられた。地元の北海道新聞社でも、この字体の件については解決することなく、また同様の悩みは尽きないそうだ。
道路上のマンホールにも、蒐集家の方がおいでだそうだ。そのご労作の本を開くと、さすがと思わせるコレクションに目を瞠る。私も、路上でマンホールも見てはいるが、これも明らかに景観の一角をなしている。札幌では、「札」の字の旁が「ヒ」のように記されているものが目立つ。
どれも、以前から目には入っていた。書道でいう補空では、と思ったりもした。大阪の阪急電鉄の「梅田」駅の切符での「田」のゴシック体風の特異な字体「のような、他の字、たとえば「礼」(レイ)との区別はここでは必要がなかろう。この「札」の字体に関しては、実は木簡においても、解釈を巡ってかつて議論があった。結論としては「札」の異体字と見てよいようだ。それは、北大の学生食堂で売っていた土産物の包み紙にもヒントが隠れていた。隷書風書体では、旁の最初の部分が筆の入りのようにも見える。それが楷書化されるときに、字画として独立したものだろう。