今週のことわざ

(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹(ふ)

2007年10月8日

出典

楚辞(そじ)・九章(きゅうしょう)・惜誦(せきしょう)

意味

失敗に懲りて、必要以上に警戒心をもつこと。「羹(あつもの)」は、吸い物の汁。「膾」は、肉を細く刻んだ冷たいあえもの。熱い吸い物のために口の中をやけどし、それに懲りて冷たいあえものまで、冷まそうとして吹くこと。原文では「膾」ではなく、「■(せい)」となっている。「■(せい)」も細かく刻んだあえものだが、野菜類のそれも含めていう。

原文

君可思而不恃。故衆口其鑠金兮。……懲於羹而吹■兮、何不此志也。
〔君は思うべくして恃(たの)むべからず。故(ゆえ)に衆口(しゅうこう)はそれ金(きん)を鑠(と)かす。……羹(あつもの)に懲りて■(せい)を吹く、何ぞこの志を変えざるや。〕

訳文

(厲神(れいしん)《=悪神》が屈原(くつげん)に言う。)主君を慕っても、頼みにすることはできない。大勢の人が讒言(ざんげん)すると、金(きん)がとけるように、主人の心も中傷を受け入れ、お前を疎んずるようになる。……熱い吸い物でやけどをしたのに懲りて冷たい膾(なます)を吹くということがある。そういう用心深い態度をとらなければいけないのに、なぜお前は自分の誠を貫くことを改めようとしないのか。

解説

『楚辞』九章・惜誦は、作者屈原(くつげん)(前三四三~二七七?)が、人々の讒言(ざんげん)により楚王(そおう)から疎んぜられ、追放された悲しみと、自分の主君に対する忠誠は変わらぬことを訴えた詩である。自分を理解してくれる者がいないのを悲しみ、そのため夢で天に昇ろうとした。ところが中途で昇れなくなったのを厲神(れいしん)(=殤鬼(しょうき)。弔う者のない死者の霊魂で、殺罰を掌(つかさど)り、たたりをなすといわれる)に尋ねたところ、「お前は主君にも疎んぜられ、大勢の人々の悪口によって孤立している。他人の悪口の恐ろしさを十分考えて、用心深くするべきなのに自分の初志を変えようとしないとひどい目にあうぞ。と言われたという故事。この一句は夢占いの言葉の中に出てくるが、おそらく当時普及していた諺(ことわざ)の一つであろう。原文とかなり言葉が変わって用いられるようになった。屈原は楚の王族で宰相。王に遠ざけられ、最後は洞庭湖(どうていこ)のそばの汨羅(べきら)という淵(ふち)に身を投げて死んだという。『楚辞』は屈原及びその後継者たちの作とされているが、「九章」を屈原の作とみるかどうかには疑問が多い。
■は「齏」の異体字。

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部