肯綮(こうけい)に中(あた)る
出典
荘子(そうじ)・養生主(ようじょうしゅ)
意味
急所をつく。中心部分にぴったり的中する。ポイントにあたる。「肯」は、骨を包んでいる肉。「綮(けい)」は、筋のからみ合っている所で、共に牛を料理するのに、いちばん切り離しにくい所とされている。「中(あた)る」は、当たるの意。
原文
臣所レ好者道也。進二乎技一矣。始臣之解レ牛之時、所レ見無二非レ牛者一。三年之後、未三嘗見二全牛一也。方二今之時一、臣以レ神遇、而不二以レ目視一。官知止而神欲行。依二乎天理一、批二大郤一、導二大一、因二其固然一。技経二肯綮一之未レ嘗。而況大乎。・・・・・・文恵君曰、善哉、吾聞二庖丁之言一、得二養生一焉。
〔臣の好む所は道なり。技を進(こ)えたり。始め臣の牛を解く時、見る所牛に非(あら)ざる者無し。三年の後は、未(いま)だ嘗(かつ)て全(まった)き牛を見ざるなり。今の時に方(あた)りては、臣神(こころ)を以(もっ)て遇(あつか)い、目を以て視(み)ず。宮知止(や)みて神欲行わる。天理に依(よ)りて、大いなる郤(すきま)を批(う)ち、大いなる?(あな)を導き、その固(もと)より然(しか)るに因(したが)う。技の肯綮(こうけい)を経(ふ)るだに未だ嘗てせず。況(いわん)や、大(たいこ)をや。・・・・・・文恵君(ぶんけいくん)曰(いわ)く、善(よ)いかな、吾(われ)庖丁(ほうてい)の言を聞きて、養生を得たり、と。〕
訳文
(戦国(せんごく)時代、魏(ぎ)の有名な料理人庖丁(ほうてい)が、主君文恵君(ぶんけいくん)のために牛を料理するやり方を説明して言った。)「わたくしの願いとしていることは、筋道をたどるということです。技術以上のものです。初めて牛を料理したころは、どこから手をつけていいのか見当がつきませんでした。三年たってからは牛の体のそれぞれの部分が見通せるようになり、刃を入れる場所もわかるようになりました。今では、形を見ず、心の働きで牛をとらえることができるようになり、感覚だけに頼って仕事をすることはなくなりました。感覚や知覚は動かなくなり、精神だけが活発に動いて、牛の体の本来の筋目に従って、骨と肉のすき間に刃を入れ、牛の筋肉のあるがままの姿どおりに料理できるようになりました。ですから、刃を使うときも大きな骨に刃をぶつけず、骨と肉のくっついている所、筋のからみ合っている所に刃を当てたりもしません。(だからわたくしは他の料理人と違って、牛刀が十九年も刃こぼれしないのです。)」王は感心して、「すばらしいことだ。今の話を聞いて、与えられた人生をまっとうする生き方を見いだすことができた。」と言った。
解説
牛の料理の仕方に借りて、天然自然の生き方を説いた道家(どうか)の故事。知識・技術だけに頼らず、ありのままの生き方をすべきだというのが主旨。「庖丁(ほうてい)」は料理人の丁(おとこ)ということで、それが転じて、料理刀のことに使われるようになった。
類句
◆庖丁(ほうてい)牛(うし)を解(と)く