今週のことわざ

四面(しめん)楚歌(そか)

2008年5月5日

出典

史記(しき)・項羽(こうう)本紀(ほんぎ)

意味

まわり中が敵であること。一人の味方もいないこと。四方を敵に囲まれ、孤立無援な状態のたとえ。「楚歌(そか)」は楚の国(=今の湖南(こなん)省周辺だが、中南部中国を指すことが多い)で歌われる歌。

原文

項王軍壁垓下。兵少食尽。漢軍及諸侯兵囲之数重。夜聞漢軍四面皆楚歌、項王及大驚曰、漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。〔項王(こうおう)の軍、垓下(がいか)に壁(へき)す。兵少なく食尽く。漢(かん)軍及び諸侯の兵、これを囲むこと数重(すうちょう)。夜、漢軍の四面に皆楚歌(そか)するを聞き、項王及(すなわ)ち大いに驚きて曰(いわ)く、漢皆已(すで)に楚を得たるか。これ何ぞ楚人(そひと)の多きや、と。〕

訳文

(秦(しん)を滅ぼしたのち、楚(そ)王項羽(こうう)と漢(かん)王劉邦(りゅうほう)が、中国の覇権を争った。長い戦いの末、項羽はしだいに追い詰められ、垓下(がいか)という町にたてこもった。)項羽の軍は垓下に城壁を築いた。兵力は少なく、食糧もなくなっていた。漢の軍や諸侯の軍が、この城を幾重にも包囲した。夜になって、項羽は漢の軍が四方で皆楚の国の歌を歌っているのを聞き、驚いて言った。「漢はもうわたしの領土である楚の国を全部占領してしまったのか。なんと楚の人が多いことか。」

解説

項羽(こうう)はこの状況に絶望し、覚悟をきめ、夜、本陣で別れの宴を開いた。彼の愛妾(あいしょう)に虞(ぐ)という美人がいた。常に項羽に愛され、そばを離れなかった。また、優れた馬がおり、名を騅(すい)といった。項羽はいつもこの馬に乗っていた。しかしもうこの最後の夜となり、項羽は悲憤慷慨(こうがい)し、詩を作って歌った。「わたしの力は山をも突き崩し、気力はこの世を支配するに足りる。しかし時はわたしに利あらず、敗北し、騅も進まなくなった。騅が進まないのに、もうどうしようがあるものか。ああ、愛する虞よ。おまえをどうすればよいのだ。」と。いわゆる「抜山(ばつざん)蓋世(がいせい)の歌」である。項羽はその後垓下(がいか)を脱出したが、烏江(うこう)という渡し場で自決した。

参考

「力(ちから)は山(やま)を抜(ぬ)き気(き)は世(よ)を蓋(おお)う」の項目を参照

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部