タイプライターに魅せられた男たち・第52回

黒沢貞次郎(5)

筆者:
2012年9月20日

エリオット・フィッシャー社のブック・タイプライターを輸入しながらも、黒沢は、新たな一手を考えていました。日本国内でのタイプライター製造を、模索していたのです。ただ、これは、途方もない夢のように思えました。当時の黒沢商店は、黒沢と、技師の庄野篤朗を含め職人が数人だけの、本当に小さな店でした。国産のタイプライター製造など、夢のまた夢だったのです。そこで黒沢は、次の一手として、エリオット・フィッシャー社以外のタイプライターも、それらのメンテナンス・マニュアルと共に輸入することにしました。販売するのはもちろんですが、アメリカの最先端のタイプライター製造技術を、貪欲に学んでいくことにしたのです。

Smith Premier No.4
Smith Premier No.4

いくつかタイプライターを調べていく中で、黒沢が特に気に入ったのは「Smith Premier No.4」でした。84キーで大文字と小文字が別々になっており、印字機構はシンプルで、質実剛健を絵にかいたようなタイプライターです。ただ、残念なことに「Smith Premier No.4」は、いわゆるアップストライク式のタイプライターでした。アップストライク式のタイプライターは、プラテンの下に置かれた紙の裏側に印字棒が打ち上がってくるので、タイプライターを打っている間は、紙に何が印字されているのか見えません。途中で打ち間違っても、紙を外すなりプラテンを上げるなりしなければ、間違いに気づかないのです。

ニューヨーク州シラキューズにあるスミス・プレミア社と、手紙で代理店契約を結んだ黒沢は、「Smith Premier No.4」の売り込みを始めました。しかし、得意先の反応は今一つでした。ブック・タイプライターに較べて、「Smith Premier No.4」の動作は軽快なのですが、やはり、打っている最中に印字内容が見えないのは、不安なものなのです。「Smith Premier No.4」の技術をもって、印字中の文字が見えるようなタイプライターを製作できればよいのですが、設計者で初代社長のスミス(Lyman Cornelius Smith)とその弟たちは、すでにスミス・プレミア社をやめてしまっている、とのことでした。

実はスミスは、1904年の暮れに「L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1」を発表していました。38キーでシングル・シフト76字の「L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1」は、フロントストライク式の印字機構を採用していました。プラテンの手前に紙を挟み、手前から印字棒を打つことで、打たれた文字が即座に見えるよう設計されていたのです。すなわち、「Smith Premier No.4」の技術をもって、印字中の文字が見えるタイプライターは、すでに製作されていたわけです。しかし、黒沢がこのタイプライターを知るのは、まだ、もう少し先のことでした。

L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1
L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1

黒沢貞次郎(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。