エリオット・フィッシャー社のブック・タイプライターを輸入しながらも、黒沢は、新たな一手を考えていました。日本国内でのタイプライター製造を、模索していたのです。ただ、これは、途方もない夢のように思えました。当時の黒沢商店は、黒沢と、技師の庄野篤朗を含め職人が数人だけの、本当に小さな店でした。国産のタイプライター製造など、夢のまた夢だったのです。そこで黒沢は、次の一手として、エリオット・フィッシャー社以外のタイプライターも、それらのメンテナンス・マニュアルと共に輸入することにしました。販売するのはもちろんですが、アメリカの最先端のタイプライター製造技術を、貪欲に学んでいくことにしたのです。
いくつかタイプライターを調べていく中で、黒沢が特に気に入ったのは「Smith Premier No.4」でした。84キーで大文字と小文字が別々になっており、印字機構はシンプルで、質実剛健を絵にかいたようなタイプライターです。ただ、残念なことに「Smith Premier No.4」は、いわゆるアップストライク式のタイプライターでした。アップストライク式のタイプライターは、プラテンの下に置かれた紙の裏側に印字棒が打ち上がってくるので、タイプライターを打っている間は、紙に何が印字されているのか見えません。途中で打ち間違っても、紙を外すなりプラテンを上げるなりしなければ、間違いに気づかないのです。
ニューヨーク州シラキューズにあるスミス・プレミア社と、手紙で代理店契約を結んだ黒沢は、「Smith Premier No.4」の売り込みを始めました。しかし、得意先の反応は今一つでした。ブック・タイプライターに較べて、「Smith Premier No.4」の動作は軽快なのですが、やはり、打っている最中に印字内容が見えないのは、不安なものなのです。「Smith Premier No.4」の技術をもって、印字中の文字が見えるようなタイプライターを製作できればよいのですが、設計者で初代社長のスミス(Lyman Cornelius Smith)とその弟たちは、すでにスミス・プレミア社をやめてしまっている、とのことでした。
実はスミスは、1904年の暮れに「L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1」を発表していました。38キーでシングル・シフト76字の「L. C. Smith & Bros. Typewriter No.1」は、フロントストライク式の印字機構を採用していました。プラテンの手前に紙を挟み、手前から印字棒を打つことで、打たれた文字が即座に見えるよう設計されていたのです。すなわち、「Smith Premier No.4」の技術をもって、印字中の文字が見えるタイプライターは、すでに製作されていたわけです。しかし、黒沢がこのタイプライターを知るのは、まだ、もう少し先のことでした。
(黒沢貞次郎(6)に続く)