前回、前々回で見たように、初めて宮廷に出仕してから数日間の清少納言の緊張は大変なものでしたが、しばらくすると次第に慣れていきました。初宮仕えの頃を記した章段の後半に、次のようなエピソードが載っています。
物など仰せられて、「われをば思ふや」と問はせたまふ。御いらへに、「いかがは」と啓するに合はせて、台盤所の方に、鼻をいと高うひたれば、「あな心憂、そら言を言ふなりけり。よしよし」とて、奥へ入らせたまひぬ。
(中宮様が何かお話をされたついでに、「私を大切に思うか」とお聞きになる。お返事として、「どうして思わないことがございましょう」と、申し上げる言葉と同時に、台所の方で誰かが高い音をたててクシャミをしたので、中宮様は「まあ、いやだ、お前は嘘を言ったのね。まあいいわ」とおっしゃって、奥へお入りになってしまった。)
「われをば思ふや」と清少納言に問いかける定子の自信に満ちた誇らしげな態度はどうでしょう。今を時めく唯一の中宮という立場に何の陰りもありません。こんな風に正面切って問われた女房は何と答えたらよいのでしょうか。このときの清少納言のように、言葉少なに強調表現で答えるしかないでしょう。
ところが、その時、事件が起こります。清少納言が言葉を発するのと同時に台所の方で誰かが大きなクシャミをしたのです。そこで、清少納言の返事は嘘だったのかと定子は決めつけていますが、心の中では、「こんな風に言ったら、どんな反応するかしら」と面白がっていたに違いありません。とても茶目っ気のある中宮様なのです。
当時、クシャミは縁起の悪いものとされ、人前ではなるべくしないように慎んでいたようです。現代でも風邪のひき始めなどに出ることから考えると、クシャミは体調を崩す前兆と見られていたからかもしれません。ちなみに本来は『枕草子』本文のように、「鼻(を)ひる」という言葉だったのですが、クシャミをした時に「休息万病(くそくまんびょう)」と唱えた呪文がクシャミという言葉に変化したと言われています。
さて、清少納言はすっかり気持ちが落ち込んでしまいました。どうして、よりによって、あんなタイミングでクシャミなんかしてくれたことだろうと、クシャミの主が憎らしく、悔しくて仕方ありません。でもまだ新参者の初々しい頃だったので、何の言葉も返すことができないままに夜が明け、自分の部屋に帰りました。その直後、定子から清少納言に和歌が届けられます。
いかにしていかに知らましいつはりを空にただすの神なかりせば
(いったいどうやって(お前の言葉が本当かどうか)知りましょうか。もしも天に嘘をただす、糺すの神がいなかったとしたら、決して知ることはできなかったでしょう。)
これにはどうしても答えねば、と清少納言も返歌をしました。定子は、まだ宮仕えに十分に慣れていない清少納言に、何とか答えさせようと思っていたのかもしれません。
さて、二人のこの贈答歌が清少納言の初宮仕えの時期を春と考える説の根拠になっています。定子から送られた手紙が浅緑色であり、清少納言の返歌に花が詠まれているからです。それはこの章段の始まり(前々回)に、季節は冬ではないかと推定したことと合いませんね。実は初宮仕えの時期については冬か春かで意見が分かれているのです。
今回の最後の逸話は早春のことと見ていいと思います。しかし、定子と初めて出会ったころの記事は冬でいいのではないかと思います。つまり、初宮仕えを扱った一つの章段に、冬から春にかけての数か月間の出来事が記されていると見れば、季節の矛盾はなくなると私は考えています。