内田春菊さんの初期のまんが『ヘンなくだもの』(1986年)に、ファミリーレストランの場面が出てきます。〈こちらメニューになります〉と言う店員に対して、若い女性客が〈メニューになるんですか〉〈じゃ いまは ただの紙なんですね〉と言い返すと、店員はあっけにとられます(角川文庫版 p.105)。「こちら~になります」という接客表現が活字で紹介された例としては、かなり早いものといえるでしょう。
「こちら~になります」という言い方は、このまんがにあるように違和感を覚える人が多く、ことばに関する本でもよくやり玉に挙げられます。もっとも、批判はたやすいけれども、この言い方がなぜ成立したかを説明するのは、そう簡単ではありません。
ある本では、「なる」には2つの意味があると説明しています。1つは「もの自体が変化する」こと、もう1つは「手順に添って詰めていくと、こう考えざるをえない」ということです。店員さんの言い方は後者で、「ご期待に添うかどうかわかりませんが、これはメニューということになるのです」と謙虚に言っているのだ、という説明です。
この言い方が謙虚さを示しているのはたしかです。でも、この説明のとおりなら、「こちら、メニューということになります」と言ってもよさそうですが、店員さんはそうは言いません。ここがこの説の難点です。もっとすっきりと説明できないでしょうか。
「こちら~になります」という言い方がだれにも違和感なく使われるのは、「相当する」の意味を表す場合です。たとえば、「南口改札から入ったとき、こちらが総武線、向こうが中央線になります」というのがこれです。多くは、場所を示すのに使われます。
ファミリーレストランの「こちら~になります」もこれと同じで、品物や料理を場所扱いして、「こちらメニューになります」「こちらコーヒーになります」と言っているのです。「こちら」という、本来は場所を表すことばと共に使っていることも、この説の裏づけとなります。場所を表すことばは、「~のほう(方)」など、婉曲表現によく使われます。
『三省堂国語辞典 第六版』の「成る」の項目に、「相当する」の意味があります。ここに「こちらコーヒーになります」の例文を入れる案がありました。でも、「読者にわかりにくい」という意見があったため、今回は見合わせました。もし、上記の説に読者の納得が得られるならば、次回の改訂で説明を加えたいと思いますが、いかがでしょうか。