三省堂国語辞典のすすめ

その81 「こちらメニューになります」と言うわけは?

筆者:
2009年8月19日

内田春菊さんの初期のまんが『ヘンなくだもの』(1986年)に、ファミリーレストランの場面が出てきます。〈こちらメニューになります〉と言う店員に対して、若い女性客が〈メニューになるんですか〉〈じゃ いまは ただの紙なんですね〉と言い返すと、店員はあっけにとられます(角川文庫版 p.105)。「こちら~になります」という接客表現が活字で紹介された例としては、かなり早いものといえるでしょう。

まんがのひとこま
【内田春菊『ヘンなくだもの』】
(角川文庫版 p.105)
ファミレスのメニュー
【いつメニューになるの?】

「こちら~になります」という言い方は、このまんがにあるように違和感を覚える人が多く、ことばに関する本でもよくやり玉に挙げられます。もっとも、批判はたやすいけれども、この言い方がなぜ成立したかを説明するのは、そう簡単ではありません。

ある本では、「なる」には2つの意味があると説明しています。1つは「もの自体が変化する」こと、もう1つは「手順に添って詰めていくと、こう考えざるをえない」ということです。店員さんの言い方は後者で、「ご期待に添うかどうかわかりませんが、これはメニューということになるのです」と謙虚に言っているのだ、という説明です。

この言い方が謙虚さを示しているのはたしかです。でも、この説明のとおりなら、「こちら、メニューということになります」と言ってもよさそうですが、店員さんはそうは言いません。ここがこの説の難点です。もっとすっきりと説明できないでしょうか。

「こちら~になります」という言い方がだれにも違和感なく使われるのは、「相当する」の意味を表す場合です。たとえば、「南口改札から入ったとき、こちらが総武線、向こうが中央線になります」というのがこれです。多くは、場所を示すのに使われます。

中野駅通路
【こちらが総武線になります】

ファミリーレストランの「こちら~になります」もこれと同じで、品物や料理を場所扱いして、「こちらメニューになります」「こちらコーヒーになります」と言っているのです。「こちら」という、本来は場所を表すことばと共に使っていることも、この説の裏づけとなります。場所を表すことばは、「~のほう(方)」など、婉曲表現によく使われます。

『三省堂国語辞典 第六版』の「成る」の項目に、「相当する」の意味があります。ここに「こちらコーヒーになります」の例文を入れる案がありました。でも、「読者にわかりにくい」という意見があったため、今回は見合わせました。もし、上記の説に読者の納得が得られるならば、次回の改訂で説明を加えたいと思いますが、いかがでしょうか。

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。