三省堂国語辞典のすすめ

その83 電車の中で聞いた、ヤバい一言。

筆者:
2009年9月2日
警察官
【やばい、サツだ。】

若者ことばが話題になるとき、「やばい」について素通りされることはありません。もとは犯罪者の隠語で「危ない」の意味だったのが、今では「このケーキ、やばい」などとほめる場合にも使われ、まぎらわしいと言われます。もっとも、最初から俗語なのですから、その意味が変わったところで、今さら眉をひそめるのもへんな話です。

ケーキ
【このケーキ、やばい。】

「このケーキ、やばい」のようなプラスの意味は、1990年代後半には現れたと言われ、私の手元にも当時の用例があります。ただ、それ以前にまったく例がないわけではありません。1987年の週刊誌の記事で、トルコ軍楽のCDが「やばい」と評されています。

〈CD帯のコピーいわく「めくるめく陶酔とノスタルジー」。たしかに祭り囃子風にも聴こえます。気分も浮かれるヤバイ魅力。困ったものです。〉(『週刊朝日』1987.8.7 p.125)

これを「このCD、やばい」と終止形にすると、今ふうの言い方になるわけです。

『三省堂国語辞典 第六版』では、「やばい」のこの意味も載せました。〈すばらしい。むちゅうになりそうで あぶない〉と説明し、〈「今度の新車は―」〉という用例を添えてあります。「新車が事故を起こしそうで危ない」という意味でないのはもちろんです。

第六版が刊行された時、新聞記事やテレビのニュースでも、「『やばい』の新しい意味も載っている!」と取り上げてくれました。目玉商品のことばのひとつと言えるでしょう。

それはいいのですが、少々てこずったのは、むしろその次に掲げた意味でした。

〈〔程度が〕はなはだしい。「教科書の量が―」〉

つまり、「やばい」には、程度を表す用法も現れています。テレビからも〈やばい〔=すごく〕かっこいい〉〈やばい良くねー?〉などと言っている例を採集しました。でも、程度を表すときに、「……がやばい」と終止形で言えるのかどうか、分かりませんでした。

そんな折、というのは2005年4月のある日のこと、西武新宿線に乗っていると、大学生らしい男性が〈〔新学期に使うために購入した〕教科書の量がやばいから……〉と友だちと話しているのが聞こえました。

電車内の若者
【教科書の量がやばいから…】

これは、程度を表す「やばい」の終止形としてかっこうの例です。私はさっそくメモし、これがそのまま『三国』の用例として採用されました。電車に乗っていたあの学生は、自分の何げない一言が、まさか辞書に載っていようとは思わないでしょう。

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。