タイプライターに魅せられた男たち・第134回

フランツ・クサファー・ワーグナー(1)

筆者:
2014年6月5日
フランツ・クサファー・ワーグナー
フランツ・クサファー・ワーグナー

ワーグナー(Franz Xaver Wagner)は、1837年5月21日、ライン川ぞいのハイムバッハに生まれました。8歳の時に母を、13歳の時に父を亡くしたワーグナーは、プロイセンやヴュルテンベルクなどドイツ連邦諸国を転々としながら、機械工としての技術を身につけました。27歳でアメリカ移住を決意したワーグナーは、4歳年下のゾフィー(Sophie Johanne Christiane Schmidt)と結婚し、1864年6月20日、新妻とともにエウロパ号でブレーマーハーフェンを出帆、1864年8月5日、ニューヨークに降り立ちました。

南北戦争のさなか、いわゆる戦時奨励移民としてアメリカに渡ったワーグナーですが、前線には赴かず、マンハッタンで機械工の仕事を続けました。1866年5月には娘のアナ(Anna Marie Wagner)が、1870年1月には息子のハーマン(Herman Lewis Wagner)が生まれ、ワーグナー家はにぎやかになりました。この間ワーグナーは、自宅の工房で、水道メーターなど小型精密機器の開発・製作をおこなっていました。

自宅の工房に加え、ワーグナーは、ニューヨークの他の工房にも出向き、いくつかの発明をおこなっています。ワーグナーが初めて取得したアメリカ特許(U.S. Patent No. 171890)は、物干し綱のアジャスターに関するもので、ブロードウェイ71番地にあったボナバンチュール(Edmond François Bonaventure)の工房のための発明でした。その後、ワーグナーが取得した3つの特許(U.S. Patents Nos.175792, 185370, and 218350)も、やはり、他の工房のための発明でした。

ワーグナーとタイプライターの出会いは、1879年5月、マンハッタンの西31丁目にあったアメリカン・ライティング・マシン社の生産工場でした。新たなタイプライター開発に向けて、ヨスト(George Washington Newton Yost)が集めてきた技術者の中に、ワーグナーも含まれていたのです。

フランツ・クサファー・ワーグナー(2)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。