『東京人』や『大阪人』、あるいは『アメリカ人』『中国人』『フランス人』といった、共同体(東京文化圏・大阪文化圏・アメリカ文化圏その他)に由来するキャラクタは、『坊ちゃん』『いい人』のような個人単位のキャラクタと根本的に異なるものではない。これが前回述べたことである。このことにはなお、次のような疑問が残るかもしれない。
『坊ちゃん』キャラとは、「本人はあくまで「ふつう」に振る舞っているが、はたから見るとそれがいかにも『坊ちゃん』の言動に見える」という人物像である。同様に、『いい人』キャラとは、「本人は「ふつう」のつもりだが他人から見れば『いい人』だ」という人物像である。
但し、この「ふつう」は、皆に自分のことを『坊ちゃん』あるいは『いい人』と思ってもらおうと、ひそかにたくらまれたものであってもいいのであった。いや、あってもいいどころか、たいていそうだろう。第3回・第18回で取り上げた『細雪』の不幸な男たち(奥畑と庄吉)のようにバレてしまえばおしまいとはいえ、個人由来のキャラクタの場合、実はひそかにたくらまれ、演出されたキャラクタだということは、よくある話だろう。
このようなことは、共同体由来のキャラクタには考えられないのではないか。ひそかにたくらまれた『東京人』とか、ひそかにたくらまれた『大阪人』のようなものはあるのか?
以上の疑問に対しては、ひとこと「ある」と、ここできっぱり答えておきたい。
まず前提としてはっきり認めておくが、生まれ育った共同体文化がしっかり身に付いてどうにも抜けず、どこに出てもお国まる出しの言葉(たとえば大阪弁)しかしゃべれません、つまり(『大阪人』から)キャラクタが変わりません、変えられませんという人は確かにいる。このような共同体由来のキャラクタは、「ひそかなたくらみ」とは確かに無縁である。
だがそれは、たとえば、生まれながらの無骨なたちで、どうにもこうにも人付き合いができません、不器用ですから、というような、「ひそかなたくらみ」とは無縁な個人由来のキャラクタ(仮に『健さん』キャラとでも呼んでおく)があるのと同じことである。
そして、思い起こしてほしい。方言が「かわいい」と持てはやされ始めるとたちまち登場してきた方言アイドルを。ディープな方言がすぐ口から出てしまうのだそうな。あるいは、ふだんは流暢な日本語をしゃべっているくせに、「日本語がうまいと人気がなくなる」と、テレビ番組の収録中は下手な日本語をしゃべって『外人』を演じる外国人タレント。都合が悪くなると日本語がさっぱりわからないふりをする一般の外国人。数えあげればきりがない。
だが、あこがれの人の前ではお国のことばを引っ込めて、急ごしらえの『東京人』キャラを地であるように演じてみせるといったことに覚えがあるなら、私たちも彼らを嗤うことはできない。共同体由来のキャラクタも「ひそかなたくらみ」とは決して無縁ではない。